2025年 ご復活の喜びの手紙
子どもたちからのお手紙
大司教 ペトロ 中村 倫明
主のご復活おめでとうございます。
「希望の巡礼者の聖年」をいかがお過ごしでしょうか? 主のご復活こそわたしたちの希望です。主のご復活によって、絶望の死と罪の暗闇の中に、永遠の命と光を頂きました。また、幾多の困難な状況の中にあるわたしたちの長崎教区は、皆さま方からも、多大なるご協力とご支援を賜り、明るい希望を頂いていますことにも感謝を申し上げます。
先日あるシスターから分かち合ってもらった話があります。そのシスターの姪っ子さんが、今年1月号の『カトリック教報』をお母さんに読んでもらったそうです。すると、その小学生の姪っ子さんがお母さんに「お手紙をもらったんだから返事を書かなくてもいいの?」と言ったそうです。姪っ子さんのお気持ち、そして、わたしの手紙を伝えてくださったお母さん、ありがとうございました。
子どもたちに教えてもらったこと
今年2月に行われた平戸地区での堅信式の時、ある教会学校の子どもたちからは、実際にお手紙をいただきました。お友だちの皆さん、ありがとうございました。その中の一つをご紹介いたします。
中村みちあき大司教様
いつも私達のために、おいのりをしてくださってありがとうございます。
お正月のお手紙を、教会学校で、みんなで読みました。
大司教様の、ことばかけをみんなとなかよくして、わすれないようにします。
4年 田川菜音
お手紙ありがとうございます。また、わたしがいつも呼びかけています「声かけ」を大切に心にとめてくださってうれしいです。それに、菜音さんのお手紙は、わたしたちが推し進めている「声かけ」が、何を目指しているのかという大切なことを教えてくれます。それは「みんなとなかよくして」いくということです。
もう一人のお友だちからのお手紙です。
中村みちあき大司教さま
いつもおしごとをがんばってくださりありがとうございます。いつもぼくたちのためにおいのりをしてくれて、ありがとうございます。あったことはないですが、大司教さまと仲よくなるようにします。
おいのりをいっぱいがんばります。
2年 山内瑛葵
瑛葵さんのお手紙にも表現されていました。「大司教さまと仲よくなるようにします」という言葉です。わたしも瑛葵さんと仲良くなりたいです。
声かけは友だちになること
先のお二人のお友だちが教えてくれていたように、わたしたちが「声かけ」をしたり「握手」をしたりしながら、まず目指していくのは、友だちになっていくということです、たくさんの人と仲良くなっていくことです。
友だちになると、その人にまた声をかけることができますし、その人からも声をかけてもらえます。お友だちになると、楽しいことも悲しいこともつらいこともうれしいことも話せるようになっていきます。そして、わたしたちにとって大切なイエスさまのこと、信仰のこと、教会のことも話すことができるようになるのです。
わたしは以前からずっと「声かけ」することをお願いしていますが、「声かけ」は最終的な目的ではありません。「声かけ」をしながら、まずはわたしたちのたくさんの友だちを作っていくこと、これがひとまずの目標です。
この復活祭にも、洗礼を受けて、わたしたちの仲間に、そしてイエスさまのお友だちになった方々がおられるでしょう。おめでとうございます。その方々は、どなたかから「教会に来ませんか」「洗礼をどうですか」と声をかけてもらったはずです。もっと言うと、その人は神さまから「わたしはあなたを愛していますよ。あなたとともにいますよ。わたしはあなたの友だちだよ」とずっと声をかけてもらっていたんです。洗礼を受けられた皆さまは、今度は、他の人に声をかけて、神さまの言葉を伝えてください。
「声かけ」をあきらめかけたり、「声かけ」することにあまり意味を感じなかったり、あるいは「声かけ」にまだまだ勇気が必要な方、どうぞあきらめないで、とにかくまずは「声」を出して、その人と友だちになってみてください。そして教会にお友だちを連れてきてください。そこから、わたしたちすべての者の友だちである希望の光、決してわたしたちのことをあきらめることのない復活の主と出会うことができます。
あらためまして、わたしもあきらめずに声をおかけいたします。
「ご復活おめでとうございます。復活なされた主はともにおられます」
おともだちへ
しゅのごふっかつおめでとうございます。 あるおともだちは みなさんは 「あいしているよ」と |