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復活教書

ともに復活の主を体験していきましょう

 2月23日(水)10時30分から浦上司教座聖堂で、ペトロ中村倫明大司教の着座式ミサが行われました。このミサでの中村大司教の説教は、長崎大司教として語る最初のメッセージでした。今回、説教を一部追加編集したものを2022復活教書として掲載いたします。長崎教区の一人ひとりに向けられた大司教の言葉を心にとめましょう。


2022 復活教書  着座式ミサの説教から

一緒に歩みながら

大司教 ペトロ 中村 倫明

 何よりもまず、19年前に司教になられ、また18年間大司教としてこのカテドラルに着座され、このわたしたち長崎教区を導いてくださいました髙見三明大司教様に感謝申し上げます。そして、たくさんのご苦労に対して「これから、ごゆっくりなさってください」と申し上げたいところですが、後任が心もとないこのわたしですから、これからも大変ですが、どうぞご指導をよろしくお願いいたします。

 2年前の9月16日にこの同じ聖堂において、わたしは司教叙階を受けました。わたしの今日のいでたち、格好からしたら、あの時のものとほとんど同じです。身に着けているカズラは叙階のために作ってもらったもの、頭に被っているミトラもあの時に準備したものです。唯一違うのは、バクルス(司教杖)です。

 一応、あの叙階式の時、儀式書に従ってバクルスの授与はあったんです。ところが、バクルスは統治権のしるしですから、補佐司教の時はほとんど使うことがありませんでした。そういう意味では、今回からのバクルスが実質的なわたしのバクルスとなるだろうと思います。

 以前のバクルスは今日持って来ていませんが、2年前ローマの福音宣教省に赴いて頂いたものでした。素敵なバクルスではあるんですが、ちょっと残念でした。バクルスにあしらってあった十字架の反対側には、地球儀が描かれていたんです。もちろんまん丸すべてをあしらえることはできませんので、その地球儀の一部だけが現れているんですが、その部分は日本やアジアではなくて、日本の反対側の大きな国々と大陸だったんです。

 このオンラインはローマにも配信されていないでしょうね。もし配信されていたら「福音宣教省の皆様、ありがとうございました。素敵なバクルスでした。でも、もしできれば、日本を描いているものがほしかったなぁと思います」。

 ということで、今回は別の物を用意させてもらいました。これです。侍者の方、持って来ていただけますか。

 

 一番の望みは、材質を金属ではなくて、羊飼いの杖を感じさせる素朴な木にしたかったということです。これはオリーブの木で作られたものです。そして、この木に、あるものをあしらってもらいました。

 わたしの好きな詩の一つに河野 進先生の「説教」という詩があります。

   説 教
 思想の説教 聖書の説教 神学の説教 哲学の説教 教理の説教 社会問題の説教 わたしのよろこびは やっぱり 手の説教

 わたしも手が好きです。前回の叙階の時もそうでしたが、今回の着座の記念カードにも手を使わせてもらいました。そして、今回のバクルスにこそ、手をあしらってもらいました。

 まず、バクルスの片面には十字架があって、その十字架からイエスさまの手が浮き出ているイメージにしてもらいました。

 御子イエスさまは、神さまの手となって「わたしたちのこと大好きだよ」って、わたしたちを抱きしめるために、ご自分の愛を伝えるために、この世においでになりました。そして、その手を使って、わたしたちと握手をしてあいさつしてくださったり、友だちになってくださったり、貧しい人や弱い人に触れてくださったり、手を耳に当てて人々の声に耳を傾けてくださったり、あるいは口に手を当てて「おーい、天の国はやってきたよ」って福音を宣べ伝えてくださったりしました。

 そして最後は、その手を十字架につけてくださり、手を掲げたままわたしたちをゆるしながら息を引き取られていきました。

 

 けれども三日目に復活され、その手で「あなたがたに平和があるように」と祝福を与えてくださり、「全世界に行って福音を宣べ伝えなさい」「わたしは世の終わりまでいつもともにいる」と手を上げ、わたしたちの行く手をお示しになりながら、その後の時代の目には見えなくなっても、ともにいてくださることをお約束してくださいました。

 

 わたしも、わたしに与えてもらっている手を使って、イエスさまのように、そしてイエスさまとともに、人々に関わっていきたいと思います。このイエスさまの手の十字架は反対側から見ても十字架です。でも、反対側から見た十字架は、色の違ういくつもの手がつながり合ってできた十字架です。いろんな人がともに手を取り合って、ともに語り合って、ともに祈り合って、協力し合って、支え合って、主の道を一緒に歩んでいく、それがわたしたちです。そして、そこに主はともにいてくださいます。どうぞ、イエスさまの手に支えてもらいながら、わたしたちも一つになって歩んでいきましょう。「ともに」これが、今回のわたしたちのテーマ、そしてシノドスのテーマでもあります。

 

 先ほど、このわたしの前に、教区の代表の方々が進み出てくださって、「あなたとともに歩みます」という温かい励ましのお言葉をくださいました。ありがとうございました。わたしこそ皆様方の前に立ち、皆様方に申し上げます。

 「どうぞ、このわたし中村倫明こそ、皆様方とともに、神さまに仕え、人々に奉仕するために歩ませてください。よろしくお願いいたします」

 

 それではミサを続けましょう。今日のミサの祈願文は福音宣教を願ってのものです。そしてミサの奉献文は、「種々の機会のミサの奉献文 四(貧しい人の友、イエス)」を選びました。

 わたしたちの教会が、この長崎教区が、貧しい人々、弱い立場に置かれている人々、小さな人々のことも忘れずに、ともに歩むことができるように、「神さまの救いには、誰一人取り残されることなくあずかることができる、神さまはともにいてくださる」このことをともに宣べ伝えていけるように一緒に祈ってまいりましょう。

 

 そのためにももう一度、先ほどのみ言葉を味わいます。

 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4・18-19)

 

 わたしたちはみんな、神さまから遣わされています。一緒に、ともに、歩んでいきましょう。

 わたしも一緒に、ともに、歩ませてください。

 一緒に歩みながら、復活の主こそともに歩んでくださっていることをともに体験していきましょう。