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ご復活の喜びの手紙

2023年 ご復活の喜びの手紙

「おはよう」

大司教 ペトロ 中村 倫明

 子どもたち、青年の皆さん、大人の皆さま、イエスさまのご復活おめでとうございます。

 (質問)復活のイエスさまが一番初めに話された言葉は何?

 のっけから申し訳ございません。イエスさまがご復活なされて、一番初めに話された言葉はどんな言葉でしたか?
マタイの福音書に記してあります。どうぞ聖書を開いて確かめてみてください。
復活されたイエスさまが、ご自分のことを最初に示されたのは、女性の方々にでした。それは、女性たちが、安息日が終わるとすぐにイエスさまのご遺体のところに向かったからかもしれません。いくつかの聖書によれば、「香料と香油を塗るために」(マルコ、ルカ)とあります。
ところが、イエスさまは墓の中にはおいでになりませんでした。復活なさったことを天使から知らされた女性たちは、そのことを弟子たちに伝えに向かう時に、イエスさまは女性たちに現われて、「おはよう」と声をかけてくださいました(マタイ28・9参照)。イエスさまが復活されて、最初に話された言葉は「おはよう」です。

 確かに、別の福音書(ヨハネ福音書)では、イエスさまのご遺体が墓にないことを悲しんでいるマグダラのマリアに「なぜ泣いているのか」(ヨハネ20・13)という言葉をかけておられて、この言葉がご復活後のイエスさまの一番初めの言葉として登場しています。
この言葉にも、わたしたちに対するイエスさまの深いいつくしみを感じますが、より「おはよう」という言葉にはそれを感じますし、やはり一番初めの言葉は「おはよう」ではなかったかと思います。このことは、その後、弟子たちにイエスさまがご出現なされた時におっしゃった言葉からも、想像できそうです。

 イエスさまが弟子たちにおっしゃった言葉

 弟子たちは、イエスさまを十字架に付けたユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけ隠れていました。そこにイエスさまが現れておっしゃいます。「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19、26、ルカ24・36)

 この時にイエスさまが用いられたヘブライ語は「シャローム」ではなかったかと思われます。シャロームは、文字通りには「平和」を意味する言葉ですが、人々は「おはよう」とか「こんにちは」などのあいさつとして使っている言葉です。ですから、やはり、「おはよう」という言葉を、復活後のイエスさまは、一番初めに語っておられたのではないでしょうか。

 わたしたちが普段に使う言葉

 わたしは今年の新年号でお願いしました。「声をかけていこう」と。
声をかけておられますか。教会の行き帰りに、出会う人たちに声をかけていますか。その中でも、「おはよう」という言葉は、出会う時の普段の一番初めのあいさつの言葉です。この普段のあいさつを大切に丁寧にしているでしょうか。出会う人を無視したり、無愛想で笑顔でなかったりしていませんか。ちゃんとわたしたちは基本的なあいさつや対応ができているでしょうか。

 聖書の「おはよう」

 面白いことにこの普段の基本的な「おはよう」という言葉は、聖書の中では、ご復活の場面にしか登場しません。もちろん、普段の言葉ですので、ことさら記述することもなかったでしょう。ならば、ご復活の時の特別な記述の「おはよう」には特別の含みがあるはずです。

 英語では「グッドモーニングgood morning」(良い朝)。「良い朝ですね。良い日になりますように」という思いがあるのでしょう。雨が降っても「グッドモーニング」です。そして、ご復活の時の「おはよう」は、まさに「おはよう」の中の「おはよう」です。
だってイエスさまは3日前に亡くなって、墓に葬られていました。「おはよう」と言える朝が来るなんてありえない「おはよう」なんです。あるいは、もしそこに言葉が存在するなら、「おはよう」よりも「うらめしや」「おれを見捨てたな」「呪い殺してやる」の言葉が人間の世界かもしれません。でも復活の世界は、何もなかったかのように、いつものように「おはよう」で始まっていきます。

 以前、聖フランシスコ病院の玄関に立つ機会がありました。ある日、知っている方がやってきて、笑顔で「おはようございます」と声をかけてもらいました。「何事ですか?」と尋ねると、「おふくろが危篤で呼び出されました」。わたしは言葉が出ませんでした。次の日、「おはようございます」と同じ方でした。「どうでしたか」勇気を出して尋ねました。「まだ頑張っています」うれしかったです。3日目、同じ方が「おはようございます。お世話になりました。今から葬儀の準備です。お祈りください」。悲しいのにつらいはずなのに、感謝を知っている人の「おはよう」でした。

 ならば、復活の主に出会ったなら、どんな時だって「おはよう」です。苦しくつらい時も悲しい時も、過ちや罪を犯しても、どんな時だって、復活された主はともにおられます。
あらためてお願いいたします。「主はともにおられます」「主の平和がありますように」の思いを込めての、わたしたちの「おはよう」の声かけを復活させていきましょう。

 子どもたちへ 「オッハー!」 だいぶ ふるいかなぁ