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年頭教書

2020年 年頭教書  教皇様の呼びかけにこたえよう

大司教 ヨセフ 髙見 三明

 

 新年にあたり、皆様にごあいさつを申し上げます。昨年も公私共に大変お世話になり、心より感謝いたします。今年も、中村倫明司教様共々、よろしくお願いいたします。

 昨年の最大の出来事は、教皇様の日本訪問、わたしたちにとっては何よりも長崎訪問でした。多くの方々が、感謝と喜びの余韻の中で新しい年を迎えたことでしょう。教皇様は、はるかローマから長崎に来られ、感動的な出会いと力強く知恵に満ちたメッセージを残してくださいました。今後日本の教会と共にそれにこたえていきたいと思います。

 

1.皆で平和をつくる

 今年は広島と長崎の被爆75周年です。教皇様は爆心地公園で強いメッセージを述べられました。その中から3つの点を挙げましょう。

(1)核兵器の所有は、誰もが持っている平和と安定への深い望みを満たすことも、安全保障への脅威から人を守ることもできません。それは、平和と安定を「恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさ」の上に築こうとする企てです。軍拡競争は「貴重な資源の無駄遣い」、武器の製造や売買などは「神に歯向かうテロ行為です」。

(2)「真の平和は相互の信頼の上にしか構築できない」という原則のもとに、「核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信」を持ち、その実現のために核兵器保有国も非保有国も国際機関も含めて、すべての人が参加すべきです。

(3)カトリック教会は、多国間の平和を促進するという不退転の決意を固め、それを、「神とこの地上のあらゆる人に対して果たすべき」義務と感じています。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的手段を絶えず支持し、主張していきます。

 平和活動は「神の民の一人ひとりに与えられた一生涯かけての使命」(H・ナウエン)と考えて、この教皇様の呼びかけを各自が全身全霊で受け止め、具体化に向けて皆で努力したいと思います。

 

2.殉教の精神を今生きる

 西坂での教皇様の第一声。「わたしはこの瞬間を待ちわびていました。わたしは一巡礼者として祈るため、自らのあかしと献身で『道』を示すこの兄弟たちの信仰を確認し、それによって強めていただくために来ました」

(1)「この聖地は死についてよりも、いのちの勝利について語りかけ」、「復活を告げる場所」、つまり「自己中心、安穏、虚栄から解き放たれ、聖霊に満たされた人々のあかしに触れることができる場です」

(2)殉教者たちのあかしは、わたしたちが「宣教する弟子」として、つまり、すべての人々、とくに助けを必要としている人々に日々黙々と奉仕するという「殉教」を通して「すべてのいのちを保護し守る文化のために働く弟子」として生きるために、信仰を強め、献身と決意を新たにするのを助けてくれます。

(3)彼らの愛が、この地における使徒的精神の生き生きとした記憶と炎となって、福音宣教の熱意を新たにかき立て絶えず燃え立たせることができますように。日本の教会が、聖パウロ三木の十字架からのメッセージに日々耳を傾け、道、真理、いのちである福音の喜びとすばらしさをすべての人と分かち合うよう招かれていると感じますように。わたしたちに重くのしかかり、謙遜に、自由に、誠実に、思いやりをもって歩むことを妨げるものから日々自由になることができますように。教皇様のこの祈りは、期待でもあります。

 

3.よい盗賊のように

 十字架につけられた王であるキリストと向き合う盗賊はわたしたちです。

(1)カルワリオは、混乱と不正の場、無力と無理解に加えて、罪なき者の死を前にしてあざける人たちが無関心な陰口をささやく場です。わたしたちも、悔い改めた盗人と同じように、失敗、罪、限界を経験しています。また「自分自身を救ってみろ」と言わせるような怠惰な雰囲気にしばしば陥ります。多くの罪なき者の苦しみを背負うことの意味を忘れてしまうこともあります。

(2)でも、わたしたちは、悔い改めた盗人と同じように、苦しむ罪なきかた、主イエスを弁護し、仕えるために声を上げて信仰を表明する瞬間を生きたいものです。刑罰を受ける主に寄り添い、見捨てられた孤独な主を支えたいものです。

(3)十字架上のキリストが与え、献げ、行った愛こそが、あらゆるかたちの憎しみ、利己主義、侮辱、悪質な言い逃れに打ち勝つことができます。その愛こそが、よい行動や選択を滞らせる無頓着な悲観主義や、感覚を鈍らせる物的豊かさに打ち勝つことができます。このことを殉教者に倣って表明しましょう。

 教皇訪日のテーマは、「すべてのいのちを守るため」です。これらのメッセージと説教が、そのテーマに沿って生かされ、実を結ぶために、共に祈りながら努めてまいりましょう。