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年頭の手紙

2024年 年頭の手紙

チェックをお願いします

大司教 ペトロ 中村 倫明

 

 新しい年のごあいさつを申し上げます。昨年も大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 新年早々、質問をさせてください。
最近のミサの前後に、あなたは何人の方と言葉を交わしましたか。
次の空欄にご記入をお願いいたします。

主日
クリスマス
神の母聖マリア

 

 わたしは、大司教として着座してからの2年間、折あるごとに同じことを言い続け、この紙面にも書き続けています。「声をかけてください」ということです。

 本年も言わせてください。とってもとっても大切なことであると真剣に考えているからです。「お願いです。声をかけていきましょう」
ご存じのようにわたしたち長崎教区もたくさんの問題を抱えています。例えば〝教会に来る人が少なくなった。教会維持費や教区費も減ってきた。修道者や司祭の数が少なくなった〟など。そして、その問題解決のために、これまでもいろんな方策が考えられ提案もなされていますが、何度も申します。「祈りも宣教も召命もすべては声かけから始まります」。すべての基本は声かけです。

祈り…
神さまとの会話です。神さまに声をかけていますか。神さまからの声かけにも耳をかたむけていますか。

宣教や司牧…
福音を宣べ伝えたり、教会に招いたりすることです。「おはようございます」などと声をかけ親しくなることから宣教や司牧は始まっていきます。教会から離れている人にも「お元気ですか。どうしておられますか」などのこちらからの思いやりやお誘いの声かけは絶対に絶対に必要です。

召命…
神さまからの呼びかけです。でもそれを具体化したり、それに協力するためには「シスターにならんね」「神学校に行かんね」というわたしたちの声かけは大きな大きな助けになります。神さまはわたしたちを通しても働かれます。

何ごとにおいても…
何かを始めるためには「一緒に◯◯をしようよ!」と声をかけ、どうしていいのかわからない時にも声をかけて話し合い、分かち合っていきます。

あいさつ…
あいさつすることは日常生活の基本です。信仰生活においてこそ基本であるべきです。それも一度すればそれで終わりではありません。毎日・毎回、何度も行います。

 

 昨年10月のことです。日本カトリック障害者連絡協議会の全国大会がここ長崎の長崎純心大学を会場に行われました。全国からさまざまな障害のある方々が集まっておられました。その大会最後の全体会の時、彼らの思いが語られました。一番多かったご意見は、「わたしたちに声をかけてもらえていない」ということでした。中には「わたしについての質問なのに、付き添いに声をかけて、本人のわたしには声をかけてくれません。わたしには対応できないと考えているのでしょう」という方もおられました。
大会が終わった後にも、長崎の全盲の視覚障害の方からお手紙を頂きました。「わたしは結婚してから信者になりました。教会は共同体として信者同士が親密に交流し、助け合っているものと思っていました。しかし、礼拝に向かう人は何人もいても、誰一人として声かけや誘導がないのはなぜでしょう。信者の信心『汝の隣人を愛せよ』とは何でしょう。障害者への声かけはそんなに抵抗があるのでしょうか」。目が見えておられなくても、大切なことが見えておられる方です。

 わたしもミサにおいでになった方々お一人おひとりに声をかけたいです。そう考えて退堂の時、「おめでとうございます」とか「ありがとうございました」などと手を振りながらあいさつをしていました。ところが「威厳がない。荘厳でない。司教らしくない。黙って十字架の祝福を頂きたい」というお声もあります。ミサの終わりには最後の祝福をちゃんと行ってはいるんです。それでも足りないのでしょう。これからは、十字架のしるしをしながら、声をかけさせてください。

 わたしたちは神の家族です。家族がミサに集まってきているのに、どうして一言も声もかけないで黙って帰ってしまうのですか? 声をかけることによって、家族の絆は強くなっていきます。何年も何十年もミサに来て一緒に祈っているのです。家族全員のお名前ぐらい言えてもいいはずです。なのに、話しすらしたことのない人もいっぱいいるのではないでしょうか。子どもたちや青年たち、脆弱な人々にも声をかけていますか。お名前で声をかけ、話しができるようになれたらいいですね。

 知らない人にこそ声をかけていきましょう。初めて教会においでになった人もいます。「どちらからですか? よくおいでになりましたね」などとどうして喜んで声をかけないのでしょうか? 神さまこそその人を喜んで迎えてくださっているのに! 声をかけることによって、わたしたちのお友だちも神さまのお友だちも増えていきます。

 どうぞ、今年もともに声をかけ合い(愛)ながら、「ともに参加し ともに交わり ともに宣教する長崎教区」づくりを一緒に行っていきましょう。

 これからもチェックをお願いいたします。
今日、誰かに声をかけましたか?
今日、誰かを教会に導き招きましたか?
主はみなさんとともにいてすべての人を救いへと招いておられます。

こどもたちへ

ことしもよろしくおねがいします。
ことしもおとなのみなさんに
こえをかけてくれるようにと
おねがいしました。

こえをかけてもらえなかったら
こえをほしいとみなさんのほうから
こえをかけてくださいね。

それから かみさまからは
「いつもいっしょにいるよ」と
こえをかけてもらっていることを
これからもわすれないでくださいね。

   だいしきょう ペトロなかむらみちあき

(『カトリック教報』2024年1月号)