2月1日 日本二十六聖人殉教記念ミサ

 2月1日(日)14時から長崎大司教区主催、長崎南地区評議会担当による日本二十六聖人殉教記念ミサが西坂公園で行われ、各地から集まった約1200人が祈りをささげた。ミサは中村倫明大司教が主司式を、髙見三明名誉大司教と司祭団約40人が共同司式を務め、殉教者を思い、皆でともに祈った。

 写真は、西坂・26聖人像の前で行われるミサ、説教をするコンベンツアル聖フランシスコ修道会の中野里晃祐神父、説教を聴く参加者皆さん、祈りがささげられる、聖歌の歌声とともに閉祭・退堂する司祭団。


日本26聖人殉教祭(2026年2月1日、西坂公園)ミサ説教

コンベンツアル聖フランシスコ修道会 中野里晃祐 神父

 この西坂の丘に、日本で最初の殉教者に選ばれた日本26聖人をたたえるため、今年もわたしたちは集まっています。ところで、殉教者として選ばれた26人がいたということは、その影に、殉教者に選ばれなかった無数のキリスト教徒たちがいたことになります。残されているさまざまな資料によれば、当時の日本のキリスト教徒たちは、自分も殉教の栄冠を受けようと、自ら進んで信仰を表明し、競い合うようにこの殉教者の列に加わりたいという熱意に燃えていました。ですから、この殉教者の列に加わり、その栄誉に預かりたい、選ばれた者になりたいと願いながら、結果的に、殉教者になれなかった人々が確かにいました。では、殉教の恵みを受けなかったそうした人たちは、そのときどのような思いでいたのでしょうか。そして、殉教の恵みを受けなかった人々の人生は、殉教した人々の人生よりも、神さまの御前に価値のないものだったのでしょうか。今日は、この26人の殉教の列に加わりたいと心から願いながら、加わることの叶わなかったある一人の人物をとおして、殉教するとはどういうことか、皆さんとご一緒に少しだけ分かち合ってみたいと思います。

 今日、私が皆さんにご紹介したい人物は、名前をヒエロニモ・デ・ヘススというフランシスコ会の司祭です。彼は、スペインからフィリピンを経由して日本に来て、布教活動に身を捧げていた(当時11人いた)フランシスコ会の修道士の一人でした。つまり、彼は26聖人の中心人物であるペドロ・バプチスタ神父の目下の同僚でした。豊臣秀吉の命令によって、バプチスタ神父たちが京都で捕らえられたとき、このヒエロニモ神父だけがたまたま長崎から大阪へ旅をしている途中だったため、逮捕されることを免れました。バプチスタ神父たちが捕らえられたことを大阪の近くで知ったヒエロニモ神父は、状況が危険であることを重々承知の上で、急いで京都へと向かいます。そこで彼は、この一連の逮捕の引き金になった、四国沖で座礁したスペインの帆船サン・フェリペ号の船長たちに出会います。船長たちは、ヒエロニモ神父に、もう一度長崎に戻り、そこでマカオから来るポルトガル人の総督に出会うはずだから、その総督に頼んで秀吉を説得してもらい、なんとかバプチスタ神父たちを釈放してくれるように、また、自分たちも自由の身にしてくれるようにして欲しいと、しきりに願いました。

 そこでヒエロニモ神父は、船長たちの願いを聞き入れて、もう一度長崎に戻り、バプチスタ神父たちを救うために尽力するべきか、それとも、自分も殉教の栄冠を受けるために、バプチスタ神父と行動を共にするべきか、どちらを選ぶべきか、自分の進むべき道に迷いました。ヒエロニモ神父は、どうしたかというと、結局彼は自分で決めることができなかったので、牢獄にいる上長のバプチスタ神父に手紙を書いて、その指示を仰ぎました。バプチスタ神父の返事は次のようなものでした。

 「愛するヒエロニモ神父、わたしたちは最終的に十字架刑の判決を受けています。わたしたちは耳と鼻を削ぎ落とされるでしょう。あなたに切にお願いしたいのは、わたしたちが置き去りにせざるを得ない信徒たちを慰めるために、また日本の教会のために、生き延びてくださることです。身を隠してください。いえ、わたしは、上長としての権威に基づいて、それをあなたの義務とします。神への愛ゆえに殉教する恵みを、神がわたしたちに与えてくださるよう祈ってください。愛するヒエロニモ神父、あなたに願い、命じます。(日本にとどまることができるよう行動してください。)天があなたに望んでおられるのはそのことです。」

 つまり、バプチスタ神父は、自分たちを救出するようなことはせず、殉教の恵みを願ってくれるように、また、ヒエロニモ神父には、残された信徒たちと教会のために身を隠して生き延びるように、それが上長としての命令であり、また、神の思し召しであると伝えました。

 この返事を受けて、ヒエロニモ神父は途方に暮れてしまいました。一体だれが自分をかくまってくれるのでしょうか。どうやって一人で身を隠して生き延びれば良いのでしょう。頼みの綱の信徒たちの家は、ことごとくヒエロニモ神父をかくまうことを断りました。彼は文字通り、狼の群れに放り込まれた小羊のように、明日をも知れぬ危険と孤独と不安の中に、一人取り残されてしまいました。冬の厳しい寒さの中、目立ってはいけないと修道服を脱ぎ、みすぼらしい姿で行く当てもなく放浪するヒエロニモ神父に、しかし、あるとき、不思議な助け手が現われます。「どこに行かれるのですか、ヒエロニモ神父」と彼の腕をつかみ、声をかける人物がいます。「神のお望みのところへ」と力なく答えると、その人物はヒエロニモ神父をある異教徒のところへと連れて行き、その異教徒にヒエロニモ神父をしっかりとかくまってあげるようにと念を押して、去って行きました。この不思議な出来事の後、深い眠りに落ちたヒエロニモ神父は、ある夢を見ます。その夢の中で、バプチスタ神父たちが十字架に磔にされる中、あのアッシジの聖フランシスコが現われて、「わたしはこの者をまだ必要としている」とヒエロニモ神父を指して、姿を消しました。この暗示的な夢から覚めると、再びバプチスタ神父から手紙が届きます。

 「愛するヒエロニモ神父。あなたの感じている悲しみが私にはよくわかります。私たちが逮捕されてからというもの、あなたはたった一人取り残されてしまったのですから。私たちは皆、私たちと共に死にたいというあなたの気高い望みに深く感動しています。しかし、聖性は、自分の気に入るように神に仕えることのうちにあるのではなく、神がわたしたちにお望みになるすべてを喜んで受け入れること、ことに、イエス・キリストがその尊い御血をもって贖われた魂の救いのためにそうすることのうちにあるのです。」

 この不思議な夢と、バプチスタ神父の手紙の言葉によって力づけられたヒエロニモ神父は、再び勇気を取り戻して長崎へと向かい、田舎に身を隠して何とかこの迫害の時を生き延びました。そして、彼は数年後、徳川幕府によって開かれた江戸で、再びキリスト教の布教活動を許され、教会の礎として活躍することになります。まさに、「世の終わりまでいつもあなたがたと共にいるという」というイエス・キリストの約束の言葉どおりのことが、ヒエロニモ神父の上に実現しました。

 バプチスタ神父がヒエロニモ神父に贈った言葉「聖性は、自分の気に入るように神に仕えることにあるのではなく、神がわたしたちに望まれるすべてを喜んで受け入れることにある」というこの言葉に、「殉教」の本質が示されているように思われます。信仰のために命を献げる殉教者になるかならないかは、神さまの恵みであって、わたしたちが自分で選べることではありません。しかし、聖性を目指して生きること、聖人になること、それは、もちろん恵みがあって初めて可能ですが、しかし同時に、わたしたちが自分の意志で選び取ることのできるものでもあります。「神さまがわたしたち一人一人に望まれるすべてを喜んで受け入れること」そして、「世の終わりまでいつもわたしたちと共に居てくださるイエスというお方に、どのような状態にあっても信頼を失うことなく最後までその御跡に付き従うこと」ができたとき、わたしたちも本当の意味で神さまから選ばれた者、信仰の真の殉教者になれることを、日本26聖人とヒエロニモ神父は、わたしたちに教えてくれています。「神が望まれるすべてを喜んで受け入れる」生き方をとおして、わたしたちも真の殉教者となれるように、その恵みを殉教者の母である聖母マリアさまのとりつぎによって、願いたいと思います。

(説教ここまで)

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主要参考文献
ゲルハルト・フーバー『日本26聖人物語』A・アショフ訳、聖母の騎士社、1993年。
トマス・オイデンブルグ『16~17世紀の日本におけるフランシスコ会士たち』中央出版社、1980年。
ルイス・フロイス『日本二十六聖人殉教記』 聖ペトロ・バプチスタ『書簡』結城了悟訳、日本二十六聖人記念館、1996年。


 

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