2026年 ご復活の喜びの手紙
声かけは “愛している” の確かなサイン
大司教 ペトロ 中村 倫明
主のご復活およろこび申し上げます。そして、今年のご復活に洗礼をお受けになった皆さま方、おめでとうございます。
「声かけ」は「愛している」ことのしるし
昨年のことになりますが、お一人の女性の方から、その方の教会においてクリスマスに受洗者がおられたとのご報告のお手紙をいただきました。その時の受洗者は、お二人のご高齢の方だったそうです。
その中のお一人は、お手紙をくださった方の二十数年前からのお付き合いがある方だったそうです。その方は、以前から時々ミサにおいでになって心の安らぎを求めておられ、お手紙をくださった方は、その方にずーっと声をかけ続けておられました。でも、その方にはご家族のご事情がおありのようだったので、「洗礼」という言葉を口には出さずにおられたそうです。ところが、昨年の聖年の年のお正月に、その方の方から「洗礼を受けたい」とお話しになり、一年かけてゆっくり準備をなされて昨年のクリスマスに受洗となったとのことです。
洗礼式が終わって、その方は「わたし、なんでこんなに悩んだんだろう。心がスーッと軽くなり、ご聖体がこんなにやさしい味!」と涙を流しておっしゃったそうです。お手紙には、「『声かけ』が実りをいただきました」と書かれてありました。おめでとうございます。
「声かけを」との一言ですが、このお手紙の方は数十年にもわたり何百回もあきらめないで声をかけてくださった。それは、その方のことを案じ、心に掛け、愛しておられたからです。ありがとうございます。
洗礼ではありませんが、教区には堅信後に参加できる“クルシリヨ”という3泊4日かけての催しがあります。そのクルシリヨに参加なさる方々には、「わたしは、教会の人に何年も『行ってみんね』と声をかけられて、やっと来ました。参加できてよかったです」とおっしゃる方も少なくありません。そして、クルシリヨを修了なさった方は、神さまのため人々のために、喜んで最善を尽くしてくださっています。
やはり、あきらめずに声をかけていくことです。多くの教区でクルシリヨが無くなっていった中で、長崎のクルシリヨは、今でもクルシリヨの修了者たちから、まだ参加しておられない方々への声かけによって続けられています。他の人にもぜひ参加してもらって同じ喜びとしあわせの体験をしていただきたい、という強い気持ちがあるからです。
今年の復活徹夜祭で洗礼を受けられた方の中にも、友だちから、愛する人から、愛する人の家族から、声をかけてもらって洗礼を受けましたとおっしゃる方も少なくないと思います。声をかけてくれた人は、あなたにもキリスト者の喜びを伝えたいからです。あなたにも本物の神さまに出会ってしあわせになってもらいたいからです。その人は「キリスト者って素晴らしい」ということを知っているからです。そして、その人にとってあなたは大切な人であり、その人はあなたのことを愛しているから、あなたに声をかけてくれました。
「声かけ」は 神さまが「愛している」ことの具体化です
声かけは、このわたしたちが、その人のことを無視せずに見捨てていないことを示すだけではありません。神さまこそが、このわたしたちを見捨てることなく愛しておられることを具体化していくものです。神さまこそが、絶えず、このわたしたちに「愛しているよ」と声をかけてくださっているからです。今回の洗礼においても、「あなたのことを愛しているよ」とまず声をかけてくださったのは神さまです。その神さまの声かけを「わたしたちは神さまから愛されているよ。あなたも愛されています」とわたしたちの言葉を使って具体的に伝えていくのが、わたしたちの声かけです。
「互いに愛し合いなさい」=「互いに声をかけ合いなさい」
「互いに愛し合いなさい」イエスさまの心からの願いでした。
どうすればいいのか分からない人は、まずは「互いに声をかけ合いなさい」ここから始めてみてください。人を愛すること、人を尊敬すること、人を大切にすることは、小さなあたたかい声かけから、すでに始まっています。
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