長崎原爆の日の8月9日(水)、18時からの長崎大司教区主催平和祈願祭(平和祈願ミサとたいまつ行列)は、台風6号の接近に伴い中止となった。新型コロナの影響で教区主催としての平和祈願祭がここ数年見送られ、今年は4年ぶりに実施できるとしていただけに各方面から中止を惜しむ声が聞かれた。
平和祈願祭は中止となったが、原爆投下時刻11時2分に浦上小教区が毎年行っている原爆犠牲者追悼ミサに平和祈願の意向も合わせ、このミサに司教団も参加することとなった。中村倫明大司教が主司式を務め、駐日ローマ教皇庁大使レオ・ボッカルディ大司教、アメリカ合衆国からニューメキニコ州サンタフェ大司教区のジョン・ウェスター大司教とワシントン州シアトル大司教区のポール・エチエン大司教、広島教区の白浜 満司教、髙見三明名誉大司教、13人の司祭団が共同司式をした。
司教・司祭団の入堂後、11時2分を知らせるサイレンと教会の鐘が響き、皆で1分間の黙とうをささげた。続くミサで、米国の2人の大司教と共に来日した巡礼団7人と韓国如己の会の巡礼団14人を含め、浦上に集まったすべての人々が、78年前に原爆で亡くなった人々を追悼し、世界平和を祈願した。説教師はウェスター大司教が務めた。
ミサの終わりに司教団が祭壇前に立ち、中村大司教が4つの教区(サンタフェ、シアトル、長崎、広島)による声明「核兵器のない世界のためのパートナーシップ」*を発表し、核兵器のない世界の実現を目指して4つの教区が共に歩み始めることを参列者に伝えた。
最後に、教皇大使ボッカルディ大司教が参列者に向け言葉を送った(抜粋)。「パパ様は今日、原爆のすべての犠牲者のためにお祈りをささげてくださっています。1945年8月6日と9日は人類にとってとても悲しい2日間です。私たちは平和のために祈ることを求められています。亡くなった方々のため、いまだに苦しんでいる方々のために祈らなければなりません。美しい長崎の街は原爆によって一瞬のうちに砂漠と化しました。でも、その中から聖人が生まれることがあるのです。私は永井隆博士とみどりさんのことを考えます。この2人は世界中の人々に大切なメッセージを送っています。世界中のきょうだいの皆さん、再び戦争を企てることをやめてください。長崎が人類の歴史において最後の原爆の犠牲の場となりますように。同じことが繰り返されないことを願います」
※写真は、共同司式をした司教団、ミサの様子、説教をするウェスター大司教、4つの教区による声明「核兵器のない世界のためのパートナーシップ」について発表する中村大司教(中央)、ミサの最後に参列者に向け語りかける教皇大使ボッカルディ大司教。
*関連ページ
《教区トピックス》8月17日更新 兄弟姉妹の皆様へ「核兵器のない世界のためのパートナーシップ」に関するご報告 https://www.nagasaki.catholic.jp/?p=11571
サンタフェ大司教ジョン・C・ウェスター大司教による説教
平和祈願祭ミサ
長崎・カトリック浦上教会
2023年8月9日、原爆投下78周年の日
中村大司教さま、そしてキリストにおける兄弟姉妹の皆さん、シアトル教区のポール・エチエン大司教とサンタフェ教区の司教であるわたしは、今日ここに 皆さんと一緒に集うことを光栄に思います。わたしたちは日本語を話せませんが、皆さんの心からのおもてなしと平和の君であるキリストに対する深い信頼についてはよく理解しています。この恵みに満ちた時間を皆さんと共にできることに深く感謝いたします。
エチエン大司教とわたしは、米国ニューメキシコ州サンタフェ市の仲間とこの教会に来て、この神聖な場所に原爆が投下されて78周年を迎える今日、皆様とともに聖体祭儀(ミサ)をおささげできることを大変光栄に思います。ニューメキシコ州は、その自然の美しさと、砂漠の大地から山々の頂に至るまで、太陽の光が舞い、まばゆいばかりに輝くことから、「魅惑の地」として知られています。そして日本は文字通り「日出ずる国」。あらゆる形の生命を育み支える光を浴びることができるわたしたちは、なんと恵まれていることでしょう。
いま朗読されたマタイの福音において、イエスが神の普遍的で神聖な愛を説明するために太陽の光のたとえを使っているのも不思議ではありません。エラスモ・レイバ=メリカキスが言うように、イエスにとって太陽とは、「神が善を届ける効率的な手段の一つであり、それは被造物への心配りに疲れを知らない」ものです。さらにレイバ=メリカキスは、イエスが「人間における道徳的生活と宇宙における自然の生命とに強力な類似」を確立されたとみます。そこでわたしたちは、遠慮やためらいなく、互いに愛の光を照らし合うよう求められているのです。わたしたちの相互の愛は、神の愛のもうひとつの導管となり、全人類を、そしてここが難しいところなのですが、とりわけ、その愛を最も必要とする人たち、わたしたちの敵、さらにはわたしたちを迫害する人たちをも、あわれみと新しい生命で包み込むのです。
また、宇宙の太陽のたとえは、聖母マリアから生まれた神の御子キリストの光という現実にわたしたちの目を向けさせます。スペイン語では、出産を意味する動詞は文字通り「光を与える」と訳されます。この訳は、諸国の光である救い主の誕生にふさわしいと思います。この意味で、聖母マリアに与えられる称号のひとつが「光の聖母」であることは、どれほどふさわしいことでしょう。わたしがユタ州ソルトレイクシティの司教だったとき、わたしたちは小教区のひとつを「光の聖母」と名付けました。聖母マリアは「海の星」としても知られています。聖母マリアはわたしたちのためにキリストの光を反射し、御子に従い、その教えに従って生きる道を示してくださるのです。
この光ゆえに、わたしは、核軍縮に関する司牧書簡に『キリストの平和の光の中に生きる――核軍縮に向けた対話』という題をつけました。この司牧書簡の精神に基づいて、わたしたち巡礼者は日本にやって来ました。今日、わたしたちをひとつにする光、すなわち互いに交わりながら生きるキリストの御聖体の祭儀(ミサ)を行うためにひとつになって集うことは、まさにふさわしいことです。しかし、悲劇的なことに、悲しいかな、わたしたちをひとつにするもうひとつの光があります。それは、皆さんの美しい街を破壊したプルトニウム爆弾の光です。この爆弾は、わたしのサンタフェ大司教区内で設計・製造されました。
サンタフェ(Santa Fe)はスペイン語で「聖なる信仰」を意味します。サンタフェ市の正式名称は、尊き平和の聖人である「聖フランシスコの聖なる信仰」です。わたしたちの教皇フランシスコはこの聖人から教皇名を取りました。サンタフェのダウンタウンにあるカテドラル(司教座聖堂)は聖フランシスコ大聖堂です。しかし、この平和の避難所から100歩も行かないところにあるイースト・パレス・アベニュー109番地は、第二次世界大戦中、秘密施設であったロスアラモス研究所への入り口でした。長崎を破壊した悪はそこで誕生したのです。それから何年もたった今、教皇フランシスコは明確な言葉で、「核兵器の保有は倫理に反する」と宣言しました。
わたしの住むサンタフェ市は、メキシコから北に延びる、グアダルーペの聖母(Our Lady of Guadalupe; 祝日は12月9日)の祝福を受けた土地にあります。1531年、イエスの御母である聖母マリアは、グアダルーペの聖母として、現在のメキシコシティに住む貧しいインディアンの農民に現れました。疑心暗鬼のこの農民、ホアン・ディエゴ(1478-1548; 2002年列聖)に、聖母マリアはこう言われました。「あなたの母であるわたしが、ここにいないというのですか。」そして続けて、次のように命じられました。「わたしはあなたの慈愛に満ちた母です。ですから、わたしの愛、いつくしみ、助け、守護のすべてを示し、授けることができるように、早くここに教会を建ててほしいと望んでいるのです。」この奇跡の真正性を示すために、聖母マリアは真冬に咲き誇るバラを差し出され、ホアン・ディエゴはそれをマントで受け取り、包みました。今日に至るまで、彼のマントに残されたバラのしるしは、世界で最も多くの巡礼者が訪れるメキシコシティーの大聖堂に飾られています。
ホアン・ディエゴのように、全能なる神の前では、わたしたちは無力です。しかし、神は弱い者を選び、恵み、あわれみ、愛を通して強くされます。神の恵みを通して、わたしたち皆の努力は、わたしたちを、核軍縮、そして国々の間の平和に近づけるでしょう。
78年前にプルトニウム爆弾によって破壊され、再建されたこの浦上教会で、エチエン大司教とわたし、そしてわたしたちと同じ巡礼者の仲間たちは、イエスの御母である聖母マリアの前に、知恵に満ちた女性たちへの信頼のしるしとして、わたしたち自身の貧しいバラを謙虚に捧げます。わたしたちは、グアダルーペの聖母から浦上の聖母にバラを届けます。聖母の苦しみを和らげ、プルトニウム爆弾によって負われた火傷を和らげ、聖母が深く気にかけている人類という家族の存続に対する疑念を和らげるためです。
祝福された母なるあなたに、そして人類が平和に暮らせるようにというあなたの熱烈な願いに、わたしたちは身を捧げます。わたしたちのバラの花が、核軍縮に向けたわたしたちの歩みは確実に成し遂げられるということを保証するものであることを願っています。わたしたちは、地球の反対側に位置する聖フランシスコ大聖堂、そしてこの浦上教会が、世界的な核軍縮への入り口として結ばれることを願っています。なぜなら、わたしたちは、一夜にして文明を破壊しうる唯一の兵器を根絶して、生命を尊重(プロ・ライフ)するという重要な問題に携わっているからです。
わたしの兄弟司教であるシアトル大司教、ポール・エチエン大司教は、この巡礼の旅にわたしに同行しています。彼とわたしは、長崎のペトロ中村倫明大司教さま、広島のアレキシオ白浜満司教さまとともに、今年5月に広島で開催された G7 サミットに参加した世界の指導者たちに書簡を送りました。その中でわたしたちは、サンタフェ大司教区内において、米国政府は核兵器の研究・製造に最も多くの資金を費やしていることを指摘しました。シアトル大司教区内には、米国内において最も多くの核兵器が配備されています。そして、広島教区と長崎教区は、恐ろしい原爆攻撃を受けた世界でただ二つの教区です。キリストにおける兄弟であるわたしたち4人は、共に声を上げるよう摂理に導かれていると信じています。
わたしたちは G7 の指導者たちに、核軍縮に向けた具体的な一歩を踏み出すよう呼びかけました。わたしたちは世界の指導者たちに、1970年の核兵器不拡散条約で約束されながら守られることのなかった「核軍縮につながる真剣な多国間交渉に入る」ことを求めました。さらに「ウクライナでの戦争は、核軍縮の実質的な進展に向けた圧倒的な障害ではなく、その絶対的な必要性を明確に示すものである」と宣言しました。
悲しいことに、わたしたちのメッセージは、G7 の世界の指導者たちの耳に届きませんでした。だからこそ、エチエン大司教とわたしは、核軍縮という困難な仕事を皆さんと共に遂行するために、ここにやってきたのです。核軍縮に関しては、信仰を持つわたしたちが、それぞれの国の政府が正しいことをするよう、後押しすることが必要です。だから、袖をまくって、神の恩寵のもと、仕事を成し遂げましょう。
なぜそうしなければならないかというと、わたしたちは、もはや新たな核軍拡競争によって自ら作り出した深刻な苦境を否定したり無視したりすることはできないからです。現在の軍拡競争は、複数の核保有国が存在し、サイバー兵器や極超音速兵器、人工知能が台頭していることを考えると、最初の軍拡競争より危険なものであるということができると思います。わたしたちに必要なのは核軍備管理であり、エスカレートする核軍備競争ではありません。
教皇フランシスコは、核兵器保有が倫理に反するということについて明確な声明を出され、教会を、過去における「核抑止力」を条件付きで容認する立場から、核廃絶を倫理的に要請されるものとする立場へ移行させました。さらに、核兵器を永久に保持するために莫大な資金を費やすという現在の計画は、貧しい人々や困窮している人々から生活や生活向上の機会を奪うことに他なりません。
現実には、米国とソ連(現ロシア)は、抑止力のみを目的として膨大な数の核弾頭を保有してきたわけではありません。むしろ、彼らの政策の目的は常に抑止力と核戦争遂行能力の混合であって、その両方が今日に至るまで世界を消滅させる脅威となっているのです。米国とロシアは、抑止力だけに必要な数百発の核兵器だけではなく、数千発の核兵器を保有し続けています。こうして戦争能力における競争力を際限なく求めることが、核保有国の莫大な核兵器「近代化」計画の原動力となっています。米国は今後25年間で少なくとも1兆7000億ドル(現在の交換レートでおよそ240兆円)を費やす予定です。
カトリック教会には、核兵器反対を訴えてきた長い歴史があります。近年、教皇フランシスコは、原子力の平和的使用や抑止力を支持する立場から、核兵器を倫理に反するものとして非難し、その完全な廃絶を求める立場へと、教会を劇的に変化させました。バチカンは核兵器禁止条約に署名し、批准した最初の国家の一つです。教皇フランシスコが宣言したように、「わたしたちは、核兵器禁止条約を含む核軍縮と核不拡散の主要な国際法上の文書を支持するための努力を決して怠ってはならない」のです。核兵器発祥の地であるサンタフェ大司教区には、普遍的で検証可能な核軍縮に取り組みながら、核兵器禁止条約を支持する責務があります。
日本への原爆投下から75周年にあたる2020年8月6日、教皇フランシスコは、「核兵器の完全にない世界への祈りと献身」を呼びかけられました。それ以前に、1984年の一般教書演説で、ロナルド・レーガン大統領はソ連の指導者たちにこう宣言しています。
「現代において、わたしたちの文明を維持するためには、あなたの国にもわたしの国にも、正気な政策は一つしかありません。核戦争に勝者はなく、それは決して戦ってはならない戦争です。わたしたち二つの国が核兵器を保有する唯一の価値は、核兵器が決して使用されないようにすることです。しかし、それだとすれば、核兵器を完全に廃絶したほうがよいのではないでしょうか。」
レーガン大統領や教皇フランシスコが私たちに示したように、世界の永続的な安全を保証する唯一の解決策は、多国間による検証可能な核兵器廃絶です。
だからこそ、すべての国、特に核兵器を保有する国々が、世界の核不拡散体制の礎石と呼ばれる核兵器不拡散条約(NPT)を忠実に順守することが非常に重要なのです。NPT は1970年に発効し、他のどの条約よりも多い189カ国が署名しています。その大筋合意は、非核兵器国が核兵器の保有を放棄する代わりに、「各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき……誠実に交渉を行うことを約束する」というものでした。
半世紀以上たった今、核兵器を保有する国々は、この厳粛な約束を守らないばかりか、核兵器を永久に保持することを目的とした大規模な「近代化」プログラムを遂行することで、ますます反対の方向に進んでいます。
このような核軍縮の進展のなさを指摘し、2014年、バチカンはこう宣言しました。
「世界の指導者たちは、NPT やその他の国際文書に盛り込まれた軍縮の約束は、法や政治の細部に関する問題ではなく、世界の未来がかかっている道徳的な約束であることを再認識しなければなりません……核保有国による軍縮の進展がほとんどない、あるいは全くないのであれば、NPT が現状を不当に永続させているものとみなされることは避けられません。核保有国が軍縮に向かう限りにおいてのみ、世界の他の国々は不拡散体制を公正なものとみなすでしょう。」
しかし、その後も、核不拡散条約の再検討会議はすべて失敗に終わり、核軍縮に向けた進展はまったく見られません。
では、わたしたちはどうすればよいのでしょうか。わたしたちにできることは、多国間で検証可能な核軍縮へのわたしたちの道徳的な取り組みに、キリストの光を反映させることです。 この目的のために、エチエン大司教とわたしは、中村大司教さまと白浜司教さまと共に、広島と長崎の教区と正式なパートナーシップを結ぶ可能性を探りたいと思っています。原爆を投下した大司教区と、米国で最も多くの核兵器を保有している大司教区が、原爆で破壊されたただ二つの教区とパートナーシップを結ぶというのは、非常に象徴的なことです。しかし、その象徴性を超えて、わたしたちは信仰に根ざした国際的な基盤を構築し、核軍縮に向けた世界政治のリーダーシップを後押しすることを目指しています。
11月下旬、わたしはニューヨークの国連に行き、核兵器禁止条約の第2回締約国会議に立ち会う予定です。わたしは、カトリックの指導者である仲間たちにもそうするよう勧めています。そこでわたしたちは、教皇庁国連大使と共に、バチカンが最初に署名し批准した核兵器禁止条約への支持を表明するのです。わたしたちがより多くそこに集うことで、化学兵器や生物学的大量破壊兵器を禁止する条約で実現できたように、新たに集うことで核兵器保有国が最終的にこの禁止条約を尊重するよう、より強い圧力をかけることができるでしょう。
最後に、わたしは米国カトリック司教協議会に対して、バチカンが核兵器禁止条約を批准したことに準じて、核軍縮の問題を生命尊重(プロ・ライフ)の問題として受け入れるよう求めます。人類の文明を一夜にして終わらせる可能性のある唯一の兵器を禁止することが、生命を守るための重要な課題でないわけがありません。
日本の兄弟姉妹の皆さん、この脆く、そして戦争で引き裂かれたわたしたちの世界にキリストの光を反映させるために、皆さんが行っている努力に深い敬意と感謝の意を表します。被爆者の方々が、核兵器廃絶のために必要で痛みを伴った証言を世界に提供し続けている今、わたしたちは皆さんとともに、また皆さんのために祈ります。 わたしたちは、日本が核兵器の保有を控え、あなたの愛する日本が、大量に積み上がっているプルトニウムの安全で拡散しない処分方法を見つけるよう、声を上げる皆さんを応援します。また、バチカンが主導してきた核兵器禁止条約に、日米両国の指導者が署名し、批准することを祈ります。これらすべてを行う一方で、わたしたちの対話と議論は、敬意に満ち、祈りに根ざし、非暴力に基づき、核軍縮が達成可能であるという希望と信念を中心としたものでなければなりません。そうすることは可能です。しかも、光であるキリストとともにあれば、すぐにこれを実行することができるのです。
最後に、グアダルーペの聖母と浦上の聖母がバラの花を共に手にしている姿を想像しながら結びたいと思います。そう、イエスの御母は奇跡を起こすことができるのです。ここ長崎の浦上教会で、広島の世界平和記念聖堂で、サンタフェの聖フランシスコ大聖堂で、シアトルの聖ヤコブ(セント・ジェームズ)大聖堂で、そして世界中の礼拝堂で、わたしたちは核兵器廃絶への入り口として共に手を取り合わなければなりません。キリストの平和の光と、諸国民の光を産んだ神の御母が、わたしたちの心を照らし、核兵器のない未来の世界へと続く道を照らしてくださいますように。
サンタフェ大司教 ジョン・C・ウェスター大司教
2023年8月9日 長崎・カトリック浦上教会
推薦図書
ジョン・C・ウェスター大司教 「キリストの平和の光の中で生きる――核軍縮に向けた対話」司牧教書、2022年1月 https://archdiosf.org/living-in-the-light-of-christs-peace
(日本語、韓国語、スペイン語の翻訳も同リンクから入手可能)





