4月27日 教皇フランシスコ 追悼ミサ(長崎教区)

 4月27日(日)15時から浦上教会で教皇フランシスコを追悼するミサが行われました。当日の映像が公開されましたので、お知らせいたします。(カトリック長崎大司教区家庭委員会 YouTube)

教皇フランシスコ追悼ミサの映像配信ページへ


    

(編集済み)

中村倫明大司教による説教
教皇フランシスコ追悼ミサ

2025年4月27日、長崎・カトリック浦上教会
(福音朗読 ルカ15・1-7)

わたしたちの霊的父親であるフランシスコ教皇様がお亡くなりになりました。
本日は、多くの皆さま方のご参列を賜り感謝申し上げます。

カトリックの信者さんでない方も、多数おいでくださっておられます。感謝申し上げます。それに、メディア関係の皆さま方、教皇様が入院なされてからも、ずっとそのご容体を、わたしたち教会以上に、多くの皆さま方に、お伝えくださいました。ありがとうございました。また加えて、平和希求についての教皇様や教会のメッセージを取り上げ、発信してくださいましたことにも感謝申し上げます。どうぞ、これからも、世界平和実現のための推進力として、ご尽力くださいますようにお願いいたします。

先ほど朗読された福音の個所は、皆さまよくご存知でよくお使いになります「迷える羊」のたとえ話です。ところが、先ほどのルカ福音書によると、イエスさまはこのわたしたちのことを「迷える羊」「迷った羊」とは呼ばれません。「見失った羊」と呼んでおられるんです。
「100匹の羊を持っている人がいて、その1匹を見失ったとすれば、
99匹を野原に残して、見失った1匹を見つけ出すまでさがし回らないだろうか」

イエスさまは伝えたいんです。「あなたの過失で迷ったんじゃないよ。わたしが見失ってしまったんだ」「あなたが悪いんじゃないよ。悪いのはこのわたし、責任はわたしにあるんだ。ごめんね」そう言って、このわたしを見つけたら、抱きしめてくださる。それが神さまなんです。

生前の教皇様のお言葉や書き物に、わたしたち司祭たち、司牧者たちに向けて、よく耳にしたり、目にした言葉があります。「あなたたちは羊の匂いがする牧者になりなさい」という言葉です。羊の匂いがするためには、羊たちの中に実際に入っていき、そして、そこでともに生きていかなければなりません。もっと言うと、そこで迷った羊をも抱きしめていくんです。

まさしく、亡くなられた教皇様は、そんなよき牧者でした。そして、イエスさまがおっしゃったように、その「よき牧者は、わたしたち羊たちのために命を捨て」(ヨハネ10・11)て逝かれました。
ご存じのように、ご高齢である身にもかかわらず、国籍も宗教も異なる方々の所へ、また身近な人々の所へも常に出向いておられましたが、本年2月から体調を大きく崩されて、命にかかわる辛い状況にも陥りながら入院をなされました。

その教皇様が、退院なされたとのニュースを、たぶん、関係者からじかに日本でいち早く受け取ったのはわたしたち長崎の人です。3月24日の朝、長崎訪問のために、長崎空港にお着きになられたバチカン市国の行政庁次官、エミリオ・ナッパ大司教様が、第一声で「パパ様が退院なさいました」というニュースをわたしと空港に出迎えに集まっていた大村の信徒さんたちは、どこよりも早く受け取って喜んでいたんです。

ところが、退院なさっても少なくとも2ヶ月間は、療養することが必要だと言われていたようです。にもかかわらず、退院なされて、度々バチカン広場に姿を現わされ、先々週の聖木曜日には、例年なさっておられたように、刑務所にいかれ、「今回は足を洗う洗足式はできませんが、皆さんのそばにいたくて来ました」と語られて、70名の受刑者との交わりをもたれていました。

その3日後の主のご復活の日には、バチカン広場に集まっていた会衆の前にも姿を現してくださって、「復活おめでとう」と、か細い声でしたが、普段通りの声をかけてくださいました。この言葉が公の場で語られた最後の言葉となりました。

どうしても、わたしたちにご復活のメッセージを伝えたかったんです。その後のメッセージは、代読で行われました。内容はこうでした。
「悲しみと苦しみの中にある人々のことを忘れていませんよ。高齢者、病人、弱い立場の人々のこと大切にしてください」。また、具体的に地名を述べながら、ガザ地区の人々に攻撃をやめるように、レバノン、シリア、イエメン、ウクライナ、アルメニア、アゼルバイジャン、コンゴ、スーダン、サヘル、ビルマ、サガイン、ミャンマーなどに、平和が訪れるように訴えられ、復活の恵みがあるように祈られました。
教皇様の思いはいつも、苦しみ悩み、命が脅かされ、虐げられている世界中の神さまの小羊たちのことでした。伺う所によりますと、退院なされてからも、ガザ地区の現地責任司祭に毎日のように電話をなされて、状況をたずねられ、人々の安否を心配しておられたそうです。

広場でのメッセージの後は、最後の力を振り絞って、専用車で広場の人々の中を回られました。そして、翌日の朝早く、力尽き果てたかのように、息を引き取っていかれました。

思い起こせば、12年前に、教皇に選ばれた時も、同じ場所で、そして、はじめて公に口になされたお言葉は、正式で荘厳な決まり文句ではなく「ボナセーラ、今晩は」という普段の挨拶でした。

わたし自身が教皇様と最後に直接お会いできたのは、昨年4月の教皇庁への定期訪問であるアド・リミナの時でした。日本の司教団との謁見の時間は、教皇様を囲んで輪になって、同じ兄弟司祭として、わたしたちの話に耳を傾けられ、また、ざっくばらんに、ご自身の思いも語ってくださったことを思い出します。
その時の、心に残った教皇様の一つの言葉があります。
「わたしの行っていることは、例えばシノドスにしても、すべての人の声を聞くとか、何か特別なことをやっているかのように言われることがあります。でも、そうではありません、それは、第二バチカン公会議が示していることであり、当たり前のことを行っているだけです」とおっしゃったんです。

この「わたしが行っていることは当たり前のことです」ということ。
刑務所を訪れたり、社会的弱者や経済的困窮者に寄り添うこと、
シノドスでのように、全ての人々の声を聴き、誰をも排除することなく、ともに行っていくこと、
平和の実現を叫び、核兵器廃絶を叫んでいくこと、
すべてのいのちを守っていくこと、戦争や暴力を排除するように叫ぶこと、
軍事費を貧しい人々のために回していくこと、
人々の中を専用車で回られる時、子どもや体の不自由な人たちを見つけると車を止めて祝福のキスをすること、
そして、最後の最期まで、世界中の人々のこと、また身近にいる人々のことを思いやっていくこと、
これらは、教皇様にとって「当たり前のこと」だったんです。

今わたしたちはご復活のお祝いの時を過ごしています。「主は復活し生きて、ともにおられます」ならば、福音宣教も平和実現への歩みも、諦めないで続けていくこと、これは、わたしたちにとって当たり前のことです。
羊の匂いがする司牧者になること。主がともにおられるならば、福音を読み、福音を生きる者にとっては、これは当たり前のことです。

この当たり前のことを当たり前としていきましょう。なにもわたしたちは特別なことをやっているわけではありません。
どうぞ、わたしたちが、人間として当たり前のこと、人を愛すること、お互いの命を大切にすることを行うことができますように。

そして、キリスト者は、キリストのことを伝えていくこと、声をかけていくこと、多くの人と友だちになっていくこと、敵をつくらないこと、だって、わたしたちはみんな神さまの子どもです。そして、そのためにこそ、復活した主はともにいてくださるんです、
それに「主はともにいてくださる」このことは、神さまにとって、とっても当たり前のことなんです。この神さまの当たり前のことを、しっかり受け止めていきましょう。「主はともにいてくださる」これがわたしたちの信仰です。

教皇様が示され、伝えていかれた、当たり前のことを、わたしたちは、ちゃんと確認して、自信と勇気と希望をもらい、このわたしたちも「当たり前のこと」を当たり前のこととして行うことができる恵みを願ってまいりましょう。

教皇様の最後の言葉は、教皇様に付きっ切りで看護を続けてくれていた看護師への「ありがとう」だったそうです。
今日の、このわたしたちにも、教皇様は普段の言葉として、当たり前の言葉として「ありがとう」とおっしゃっておられるはずです。いや、わたしたちこそ最後に、教皇様に普段の当たり前の言葉「ありがとうございました」そう伝えていきましょう。そして、神さまにこそ「すてきな教皇様を与えてくださって、ありがとうございました」と伝えて、教皇様を神さまのみ手に委ねていきましょう。

わたしも皆さま方に申し上げます。
本日は、わたしたちのパーパ、教皇フランシスコのためにご参列くださり、祈りをお捧げくださりありがとうございました。
そして、これまでわたしたちの教皇がお世話になりました。本当にありがとうございました。
それでは、これから、皆さま方とともに、また皆さま方のためにも、感謝の祈りをお捧げいたします。

(説教ここまで)


 

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