コンテンツにスキップするには Enter キーを押してください

4月28日更新 【大司教と補佐司教から長崎教区の皆様へ】メッセージをお伝えいたします

 髙見大司教様と中村補佐司教様から、長崎教区の皆様へのメッセージを以下の通り受け取りましたので、お伝えいたします。


2020年4月26日 復活節第三主日

長崎大司教区の

 信徒、男女修道者、司祭の皆様へ

大司教  ヨセフ 髙見 三明

補佐司教 ペトロ 中村 倫明

 

 今や世界中が新型コロナウイルスに襲われています。信仰生活も日常生活も大きな制約を受け、仕事や学業、その他もろもろの活動も中止や延期を余儀なくされています。多くの人が死活の問題を抱えて苦悩し、事業者の方々は悲鳴をあげています。わたしたちも皆ほぼ同じ状況の中にいます。皆さんの中の多くの方々がさぞ不自由な生活、また辛い思いをしておられることと思います。お見舞いを申し上げます。

 わたしたちは、大司教館にほぼ閉じこもった状態ですが、おかげさまで元気に日々を送っています。年内に予定されていた多くの会議や行事が中止や延期になり、その関連で一日の大半はテレワークです。特に毎日のミサと教会の祈りの中で、皆さんのことを思い、皆さんのために祈っています。お祈りしてくださる皆様、毎日の食事の準備や世話をしてくださるシスターたち、すべてを通して共にいて守り支えてくださる神様にただただ感謝するばかりです。

 あらためて人間の小ささと同時にいのちの尊さを思わされます。しかし、わたしたちはキリストを中心にしてすべての人とつながっています。

 

 信徒の皆様、主日にも週日にもミサに参加できないもどかしさを感じておられることと思います。特に聖週間の典礼に参加できなかったのはとても残念だったことでしょう。このような困難な時、潜伏時代の先祖たちが、二百数十年もの間、司祭がいないため洗礼以外の秘跡にあずかれない中、どれほど切実な思いで信仰を生き伝えていったのかを思い巡らしてみてはいかがでしょうか。回心の機会です。すでに自分の信仰生活を振り返っている方もおられることでしょう。洗礼・堅信・聖体という入信の秘跡のありがたさが身に沁みた方、これまでミサの意味をわかって意識的に参加していたかどうか反省させられた方もおられるでしょう。ミサや赦しの秘跡の大切さや司祭のありがたさに気づかされたかもしれません。結局自分の信仰がどれほどのものかを自分に問いかけるいい機会だと思います。わたしたちは、何を頼りに生きているのでしょうか? 不満やストレスがたまる中で、神様への信仰を深めようとするよりも、忍耐を失い、言葉が荒くなり、暴力さえ振るうようになっていないでしょうか。こういう時こそ、家族や隣人への愛が本物であることを証明できれば幸いです。

 

 修道・奉献生活をしている皆様、このような苦境の中で自分自身の奉献生活の意味、修道生活の基盤が何かを自分自身に問いかけてみてはいかがでしょう。神への信仰の強さ、自分の奉献の度合い、愛のこころの深さをはかり直すことができるのではないでしょうか。わたしたちのまなざしはどこに向けられているでしょうか。さらに困窮に追い込まれている人々が増えています。近くであるいは遠くで苦しんでいる多くの人々のために祈りをささげてくだされば幸いです。

 

 神父様方、信者の顔が見えないと、気合が入りにくいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。この機会を振り返りのために活かして、たとえば、自分にとって司祭としての生きがいは何かを自問したり、信者たちへの愛がどれほどのものかをはかったりできるのではないでしょうか。信者たちに、説教を文字あるいは音声で伝えたり、時々電話やほかの方法で声をかけたりして、彼らとのつながりを大切にするよう努めてください。

 また、与えられた時間を有意義に過ごすために、毎日のミサと祈りと信心業を信者のためにささげ、それらを軸にして生活してください。いい本を読むとか(2020-04-26 読書のおすすめ.pdf、いいテレビ番組やDVDを観るなどして自己研修をするのもいいし、数名の司祭あるいは地区単位で祈り、学ぶ機会を設けるなど工夫をしてください。

 

 最後に、死に打ち勝って復活された主キリストが今もいつも共にいてくださいますので、恐れることはありません。しかし感染予防のための基本的な行動など、すべきことはしっかりしなければなりません。ますます生活上の不安をつのらせている人々や感染者と亡くなられた方々のために祈り、医療従事者、彼らを支えている周囲の人たち、人々の日常生活が円滑にできるように働いておられるすべての方々に感謝のきもちを抱きながら、平凡でも普通の生活を一日も早く取り戻すことができるよう、神様に全幅の信頼をおいて祈って参りたいと思います。