カトリック長崎大司教区


2012年 10月 15日

信仰年開始ミサ 髙見三明大司教の説教(2012年10月14日浦上教会にて)

Blog, by 広報委員会.

長崎大司教区「信仰年」開始ミサ 説教  20121014日(第二十八主日)

 

 教皇様は、今月11日から来年11月24日、すなわち「王であるキリストの主日」までを「信仰年」と定められました。わたしたち長崎教区でも、全世界の教会と共に、教皇様のご意向に従って、この「信仰年」を有意義に過ごして参りたいと思います。

 ところで、11日には各小教区で「信仰年」開始ミサがささげられました。それからすでに3日たっていますが、今日は、教区全体で「信仰年」を開始することを実感していただくため、またできるだけ多くの信者に参加していただくために、浦上教会で行われる教区主催の開始ミサに合わせて、各地区でもささげることになりました。同じ時間に、同じ式文を用い、同じ聖書の箇所を朗読し、同じ聖歌を歌って、心を一つにするようにしています。この説教も同じものです。

 そこで、教皇様のご意向に沿って、「信仰年」の意義と過ごし方について考えたいと思います。教皇様のご意向は主に三つにまとめられると思います。

 第一は、各々が自分の信仰の恵みのすばらしさと喜びを再び見出し味わうということです。教皇様は洗礼の秘跡のことを「信仰の門」(使徒14・27)と呼び、この門を通ることは、神との交わりと教会生活に入ることであり、永遠のいのちに至るまで生涯にわたって続く信仰の旅を始めることであるとおっしゃいます。そして、「信仰年」にあたって、洗礼を通していただいた信仰の恵みと信仰の道のすばらしさを再発見するようにと勧めておられます。

 信仰は神さまから与えられる無償の恵みです。それは、天地の創造主である御父、死と復活によって人類を救ってくださった御独り子イエス・キリスト、そしてすべてにいのちを与え、愛を注いでくださる聖霊、つまり三つのペルソナの唯一の神、三位一体の神を絶対的に信頼するという恵みです。それは、わたしたちが、この神に似せて愛のいのちを与えられ、この神に日々生かされ、この神との永遠の交わりに到達するまで歩み続けることができるという恵みです。わたしたちは、この信仰を「使徒信条」あるいは「ニケア・コンスタンチノープル信条」で告白し、宣言しています。そして同じ信仰をもって毎日聖霊に生かされ、キリストを通して父である神に感謝と賛美をささげ、お願いをし、罪のゆるしを願っています。特に、ミサ、つまり感謝の祭儀の神のことばと聖体を通して同じ信仰を表すと同時に、養っていただいています。さらに家庭や社会や教会での毎日の生活の中で、同じ信仰をもって物事を見、判断し、決断し、行動しようとしています。でも、わたしたちは、口で宣言する信仰を深く信じ、信じていることを思いや考えや行動にほんとうに生かしているでしょうか。真心から父と子と聖霊を信じ、その神への信頼のうちに生活できることをすばらしいと思い、喜びを感じているでしょうか。

 教皇様の第二の意向は、この信仰の内容、つまり各々が信じていることをより深く知るために、「第二バチカン公会議文書」と『カトリック教会のカテキズム』を読み、理解し、そうすることによって信仰を深めるということです。なお、今月11日は、第二バチカン公会議の開幕50周年と同時に、『カトリック教会のカテキズム』の公布20周年にあたります。

 第二バチカン公会議の目的は、カトリック信者が福音に照らして自分自身の心の在り方や生き方を改めると同時に、信仰の遺産を現代の人々にわかりやすく伝えることでした。そして実際にこの公会議によって教会は大きく変えられました。それは、本来の教会の姿を求めることでもあります。まず典礼が刷新されました。特にミサには、信者たちが自分の国の言葉で、意識的に、また行動的に参加し、救いの恵みをより豊かに受けることができるようになりました。ミサは、生活がそこから始まる源泉であり、そこに帰っていく頂点であると教えられました。また教会は、単に司教や司祭が上にいて、信徒は従うという縦の構造ではなく、洗礼を受ける人はすべて、各々神から受けた召命に従ってキリストの預言職と祭司職と王職に参与する一つの共同体なのです。司教や司祭が神のことばを教え、救いの恵みをもたらし、教会共同体を導く権能を与えられているのは、キリストがそうであられるように、信徒や修道者に自分のいのちを与えて奉仕するためなのです。また信徒は、聖職者と共に、自分に与えられた時間や能力を教会共同体のためだけではなく、社会の益のためにも生かすように招かれています。

 ともあれ、公会議文書は、教会に今後進むべき方向性を与える確実な羅針盤なのです。ですから、それらを正しく解釈し、実施することによって、教会を刷新する力としなければなりません(『信仰の門』5参照)。また、『カトリック教会のカテキズム』、つまり新しい要理書は、「信仰の力のすばらしさをすべての信者に示すため」に現代に適応する形で編纂されました。これは、「教会のために役立つ権威ある道具」であり、信仰を教え学ぶための確実な規範なのです(『信仰の門』4, 11参照)。わたしたちは、この要理書の中にまとめられた信仰の根本的な内容を系統だてて学び、再発見するよう努力しなければなりません(『信仰の門』11参照)。第二バチカン公会議文書と同じく、まずは個人的に、できれば各小教区、あるいは各地区でこの重要な要理書を学ぶ機会をつくるようにしたいものです。

 教皇様の第三の意向は、人々を「信仰の門」まで導くということです(『信仰の門』7,10,15参照)。教会は、人々を救うために神のことばを語り、最後にはご自分のいのちを与えたキリストの愛に駆られて、その愛のわざを福音、つまり「喜ばしい便り」として述べ伝える使命を受けています。一方、誰でも真理とほんとうの愛を捜し求めているのです。しかし、語る人がいなければ聞くことはできず、聞くことができなければ真理であり愛であるキリストを信じることはできないのです。わたしたちが、この「信仰年」の間に、信じることの喜びと、信仰を伝える熱意を再び見出し(『信仰の門』7参照)、周囲の人々を「信仰の門」まで導くことができるように祈り、努めましょう。

 最後に、信仰年の間に、そしてその後も是非続けていただきたいと強く勧めたいことがあります。

(1)   信仰宣言として「ニケア・コンスタンチノープル信条」を唱えることです。これは「使徒信条」に比べて内容が豊かですし、誰を信じ、何を信じているのかをより正確に思い起こさせてくれます。まさに「信仰の正確な知識を自分のものとし、そこから信仰を生かし、清め、強め、告白することができるようになる」(『信仰の門』4)ためのものです。そこで、主日や祭日に「唱える」のはもちろんですが、可能な限り「ラテン語で歌う」ように努力してください。それは、ラテン語を暗記し、暗記すればカトリック信者としての誇りと世界の教会との連帯を実感でき、これをもとに信仰の基本を学ぶことができるからです。

(2)  二つ目は、「ゆるしの秘跡」(告解)を大切にし、より頻繁にあずかるようにすることです。「ゆるしの秘跡」は、心と生活を神に向け直すだけでなく、信仰を強める恵みだからです。

(3)  第三は、ご聖体を拝領するとき、「キリストの御からだ」と言う司祭のことばに、信仰と愛の心をもって、はっきりした声で、「アーメン」と応えることです。これは、立派な信仰告白です。

 これら3つのことは、特に難しいことではないと思います。どれも心をこめて実践するなら、信仰のすばらしさと喜びを体験するにちがいありません。そしてこの「信仰年」を有意義に過ごすことによって、教区代表者会議と「信徒発見150周年」に向けた教区の動きをさらに充実したものにし、聖霊による実りをもたらすことができるよう努めて参りましょう。

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