カトリック長崎大司教区


大司教紹介


長崎大司教 ヨセフ 髙見 三明

1946年 3月21日 長崎県長崎市に生まれる

1972年 3月20日 司祭叙階

2002年 1月23日 長崎教区補佐司教に任命される

2002年 4月29日 司教叙階

2003年10月 4日 長崎教区大司教に任命される

2003年12月14日 着座

司教紋章の説明

標語「教会のために、教会とともに」(PRO ECCLESIA ET CUM ECCLESIA)。この標語は、「わたしはあなたがたのために司教であり、あなたがたとともにキリスト者なのである」という聖アウグスチヌスのことばに着想を得たもので、長崎大司教が目指す司教職を示している。その司教職は、聖書と聖体と牧杖で表されている。

まず、キリストのように牧者の愛をもって、司祭団の協力を得ながら、ゆだねられた「長崎にある教会」の豊かな成長のために奉仕したい。すなわち、信徒と奉献された人々がみな、いのちのことばでありパンであるキリストによって内面から生かされ、世にあってそれぞれの召命に応じて同じキリストの使命にあずかることができるように、神の恵みの仲介者として務める。

司教も司祭も、キリストの弟子として信徒や奉献された人々と多くの恵みを共有しており、みな、聖霊の導きと聖母マリアのご保護(星)のもと、キリストを中心に一つの共同体を作り、互いに交わるよう招かれている。だから、お互いのために祈り、お互いの声をよく聴いて理解し合い、学び合い、助け合い、ともに豊かになるよう努力する必要がある。そして、このように交わる教会は、周囲の社会と世界に自分を開いて広がり続け、すべての人々がみなキリストを知り信じ愛することによって一致し、父である神と独り子主イエス・キリストをたたえるようになることであろう。

背景下段の赤(殉教のイメージ)は宣教する教会を、中段の波(外国に開かれた長崎の港のイメージ)は開かれた教会を、上段の青(天国のイメージ)は交わりを表している。

歴代教区長

1.ベルナール・タデー・プティジャン(パリ外国宣教会) 1866-1884年
2.ジョゼフ・マリー・ローケーニュ(同会) 1884-1885年
3.ジュル・アルフォンス・クザン(同会) 1885-1911年
4.ジャン・クロード・コンバス(同会) 1912-1926年
5.ヤヌアリオ早坂久之助 1927-1937年
6.パウロ山口愛次郎 1937-1968年
7.ヨゼフ里脇浅次郎 1969-1990年
8.フランシスコ・ザビエル島本要 1990-2002年
9.ヨセフ髙見三明 2003-現任

教区小史

本教区の起源は、1866年、日本使徒座代理区長に任命されたB.プティジャン司教が代理区長館を横浜から長崎へ移したことにさかのぼる。1876年、日本使徒座代理区は南北に2つに分割されたが、プティジャン司教は、近畿、中国、四国、九州の各地方を管轄する日本南緯使徒座代理区の代理区長を務めた。1888年、日本中部使徒座代理区が新設されると、近畿、中国、四国の3地方を委譲し、日本南緯使徒座代理区の管轄は九州地方のみに縮小された。1891年6月15日には司教区に昇格、長崎教区となった。
1927年3月18日、鹿児島使徒座知牧区の新設に伴い、鹿児島、沖縄両県を委譲した。同年7月16日、日本最初の邦人教区となってパリ外国宣教会の手を離れるとともに、福岡、佐賀、熊本、宮崎、大分の5県を新設の福岡教区に委譲して長崎県だけが管轄となった。初代邦人教区司教には早坂久之助師が任命され、同年10月30日、日本人として初めて司教に叙階された。1937年、早坂司教の辞任により、山口愛次郎師が後継者となった。
1959年5月14日、長崎教区は大司教区に昇格、山口司教は初代の教区大司教に任命された。山口大司教の辞任により、1968年12月19日、鹿児島教区の里脇浅次郎司教が後任に任命され、翌年3月16日、着座した。1978年には松永久次郎師が補佐司教として叙階された。1979年6月30日、里脇大司教は日本人として3人目の枢機卿に親任された。1990年2月8日、里脇大司教が辞任し、浦和教区の島本要司教が後任に任命され、同年5月8日に着座した。松永司教は1991年1月15日、福岡教区司教として着座した。
2002年1月23日、サン・スルピス司祭会の髙見三明師が長崎の補佐司教に任命され、同年4月29日、司教に叙階された。
2002年8月31日、島本大司教が急逝し、長崎大司教区は司教座空位であったが、2003年10月4日、髙見補佐司教が大司教に任命され、同年12月14日に着座した。