カトリック長崎大司教区


年頭教書

2017年 年頭教書 神のことばを分かち合う〝小共同体〟

大司教 ヨセフ 髙見 三明

 

 長崎教区のすべての皆様に、新年のごあいさつを申し上げます。特に「いつくしみの特別聖年」の間にいただいたお恵みを神に感謝すると同時に、わたしと教区のために祈りかつ奉仕してくださった皆様に、心より御礼を申し上げます。今年も神のいつくしみをありがたくいただき、出かけて行って分かち合い、永遠の幸いに向かって一緒に旅を続けたいと思います。

 さて、今年は2月7日に殉教者ユスト高山右近の列福式が大阪城ホールで行われます。また7月7日は日本二〇五殉教者の列福150周年、同15日は浦上四番崩れが始まって150年目にあたります。今年も先祖たちの信仰を思い起こす機会が与えられます。

 

1 教区シノドス「公式提言」

 ところで、教区シノドスで、先祖たちがいのちをかけて守り抜いた信仰を今とこれから先の時代に生きていくためにはどうすればいいのかを話し合い、「提言」としました。『教区シノドス提言』の冊子は一昨年、各家庭・各修道院に配布されました。特に第二部の「公式提言」は、必ず、しかも繰り返して読むようにしてください。もちろん読むだけではなく、実行するよう努力してください。わずか7ページですが、実行すべきことはたくさんあります。

 今年はその「公式提言」の「提言2」を踏まえて、聖書を読んで分かち合う場である〝小共同体〟をつくるよう強くお願いしたいと思います。なお、これに関連したことは2009年と2010年の年頭教書、および昨年の復活教書でも述べました。

 

2 聖書は真理と道徳の泉、信仰の最高の基準

 聖書は旧約聖書と新約聖書から成っています。そこには、神様がことばとわざによって明らかにされたご自身のこと、世界と人間およびその歴史のこと、すなわち啓示が書かれています。旧約聖書にはキリストの到来の準備、新約聖書には啓示の頂点であるキリストについて記されています。聖書は人間のことばで書かれていますが、いわば原作者である神が、ある人々を選び、霊感を与えて彼らのうちで働き、彼らを通して、ご自分の望むことだけを書き記させたものです。それゆえ「神のことば」です。つまり、救いに必要なすべての真理と道徳上の規律の源泉です。

 同じ神のことばは、使徒たちによって典礼や制度や教えなどによっても説明され、伝えられてきました。それが聖伝です。それゆえ、聖書は聖伝とともに教会の信仰の最高の基準なのです。また、教会は「キリストの御からだと神のことば」の食卓からいのちの糧をいただいてきました。実に聖書は、教会にとって宣教を養い導く力であり、信者にとって信仰の力、霊魂にとっては糧、霊的生活にとっては純粋な尽きない泉です(『啓示憲章』2~4、7~11、21参照)。

 

3 聖書を読む

 カトリック教会では、50年前まで信徒は聖書を読むよう積極的に奨められていませんでした。聖書はあまりに重要なものであるために、その解釈と説明は教導権と司祭の権限に委ねられてきました。しかし、第二バチカン公会議は、「すべてのキリスト信者」が聖書を読み、「キリストを知るすばらしさ」(フィリピ3・8)を学ぶよう、強くまた特別に推奨しました(『啓示憲章』25)。人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべてのことばによって生きるからです(申命記8・3、マタイ4・4参照)。

 しかし神のことばを糧とするためには、それを聴いて信仰の心で受け入れなければなりません。すると、神のことばはわたしたちのうちに、いわば露のように滴り、小雨のように注がれます(申命記32・2参照)。典礼に目を向けると、キリストはご自身のことばのうちに現存しておられるので、聖書が教会で読まれるとき、キリストご自身が語られるのです(『典礼憲章』7参照)。一方、聖書を読むとき、「天におられる父は聖書の中で深い愛情をもって自分の子らと出会い、彼らとことばを交わす」(『啓示憲章』21)のです。

 

4 神のことばを分かち合う

 「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」(コロサイ3・16)と聖パウロは勧めています。神のことばは、それを聴く人の口と心にあります。ですから、それを実行することができます(申命記30・14参照)。みことばを聞くだけではなく、行う人にならなければなりません(ヤコブ1・22~23参照)。イエスは、「何と幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」と声高らかに言った人に「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」と言われました(ルカ11・27~28参照)。また「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とも言われました(ルカ8・21)。

 このように神のことばを祈りのうちに読み、生活と結びつけて黙想し、その実りを互いに分かち合うことによって、みことばをより豊かに自分のものにすると同時に、互いのきずなを強め、宣教と愛の行いへと促されます。この意味で神のことばは教会共同体をつくり上げ、最後には救いへと導きます(使徒言行録20・32参照)。

 分かち合いの方法のうち、次の二つを挙げましょう。

 (1) 聖書百週間

 パリ外国宣教会のル・ドルズ(M. Le Dorze)神父様が40年ほど前に始めた聖書に親しむ方法で、あらかじめ準備された配分表に従って聖書を読み、毎週あるいは2週ごとに分かち合うというものです。各自、自宅で聖書をよく読み、感じたことを集まりで話し、他の人の話を聞き、こうして皆でみことばを分かち合います。分かち合いを重ねることによって、徐々にみことばに生かされるようになります。

 (2) セブン・ステップ法

 1993年、アジア司教協議会連盟(FABC)人間開発局と信徒局共催の会議は、「参加する教会」のビジョンを司牧活動において実現する行程を「アジアにおける統合的な司牧的アプローチ」と名づけました。このプログラムの中に、「小共同体」で行う福音の分かち合いの基本的方法として、セブン・ステップ法などの方法があります。これは、10人前後のグループで、7つの段階を経ながら福音のある箇所を黙想し分かち合う方法です。参加者はキリストを中心に、共同体として、祈りの雰囲気の中でみことばに触れて、行動へと向かいます。「小共同体」は、「小教区と教区における交わりと参加を促す効果的な手段であり、福音化のための本物の力です」(教皇ヨハネ・パウロ二世 使徒的勧告『アジアにおける教会』1999年、25参照)。

 すでに各小教区にある〝地区〟あるいは〝班〟などの呼び方をそのままにするか、あるいはそれを〝小共同体〟あるいは〝みことばの組〟などと呼び変えるかして、みことばの分かち合いを実践していただきたいのです。「できません」ではなく、「主のおことばですから、挑戦してみましょう」という気持ちで始めてください。期待しています。