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4月18日更新 3/17 日本の信徒発見150周年記念 教皇特使のメッセージと大司教のミサ説教

15-05-1ケヴェド枢機卿

日本の信徒発見150周年
教皇特使ケヴェド枢機卿メッセージ 邦訳
2015年3月16日(月)

 

感謝

 教皇特使として、わたしたちのフランシスコ教皇様、日本カトリック司教協議会、長崎大司教区ヨセフ髙見三明大司教様に、長崎に招いてくださったことを深く感謝申し上げます。また教皇様ご自身は、こちらに来ることができないことをとても残念に思っておられるということも申し上げたいと思います。しかし実際に皆様と思いと心を共にしておられます。

 わたしたちは昨日、聖トマス西と15同志殉教者の銅像を祝福しました。殉教した潜伏キリシタンの銅像は、日本のキリスト教共同体のすばらしい英雄的な歴史を思い起こさせます。教皇様も感動されて、「わたしたちはこの歴史から多くのことを学ぶことができます」とおっしゃっておられます。

 

潜伏キリシタン ― 最期までの勇敢な信仰と愛の叙事詩

 キリストと結ばれた兄弟姉妹の皆さん、キリスト信者としての皆さんの歴史は、200年以上(1614年から1873年まで)耐えた、聖金曜日の大きな苦悩の体験です。何千人もの日本人のキリスト信者が、キリストへの愛と信仰のために、殺され、斬首され、火あぶりの刑に処され、十字架につけられました。わたしたちフィリピン人の最初の聖人、信徒であったマニラのロレンソ・ルイスは、ここ長崎で殉教しました。

 同じ信仰でつながっている皆さんの先祖は、主を否むよりも隠れる方を選んだのです。最後の司祭が殉教したとき、彼らは牧者のいない状態に置かれました。司祭がいないためにミサを行うことができませんでした。彼らのキリスト信者としての生活の源泉と頂点は無くなったのです。しかしすべて無くなったのではありませんでした。皆さんの先祖は、他の象徴やしるしを使うことで、ミサ聖祭の記憶をとどめたのです。

 親たちは隠れた場所で、子どもたちに洗礼を授け、要理書について記憶したことを教えて、密かに自分たちの信仰を伝えました。彼らは子どもたちに祈りを教え、信者の家族は互いに助け合い、互いのために祈り合い、愛徳の実践やさまざまに工夫した信心によって、キリストへの信仰を維持しました。御父の慈しみ、キリストの愛、聖霊の支える恵み、これら神のすべての祝福によって、彼らは想像を絶する苦難の中で、信仰を堅持したのです。

 わたしたちの教皇様のおっしゃる通りです。全世界のキリスト信者は、皆さんの歴史からたくさんのことを学ぶことができます。それは、子どもたちとその子どもたちが他の人たちに伝え、また伝えることのできる宗教的な叙事詩です。なぜなら、それは最終的には、皆さんに対する三位一体の神の愛の物語だからです。

 わたしは日本人の潜伏キリシタンの多くの物語を読んだとき、彼らの物語、つまり皆さんの物語のいくつかの基本的な要素に、個人的に強く心を打たれました。それらは世界中のすべてのキリスト信者、特に中東やアフリカやアジアのさまざまな地域で苦しんでいるキリスト信者にとって、教訓となるからです。

 

学ぶべき教訓

 わたしたちは、日本のキリシタンが樫山に密かに巡礼したことの中に、これらの基本的な要素を見ることができます。

 

祈り

1.潜伏キリシタンは、神に祈るために樫山に行こうとしました。彼らの家族は、自分たちの家で密かに、聖母マリアと諸聖人に祈ろうとしました。彼らが密かに守り伝えたご像は、彼らに、天の英雄たちが地上の英雄たちと共にいるということを思い起こさせました。長い、大きな艱難の時代に神への信仰と愛を保ち育んだのは、彼らの熱心な祈りでした。祈ることによって彼らは神と結びつき、諸聖人とつながったのでした。祈りは、彼らの信仰を生きたものとして保ちました。祈りをしないキリスト信者は、自分の信仰の支えを投げ捨てているのです。

 

おとめ聖マリア

2.信者たちは樫山でローマを思い、歌いました。「沖に見えるはパーパの船よ、丸にヤの字の帆が見える。」彼らは自分の家に隠れているときに、静かに自分たちのために歌ったことでしょう。神に対する祈りと共に、おとめ聖マリアに対する並外れた信心がありました。日本人のキリシタンの生き生きとした希望と祈りは、イエスの母、おとめマリアの心により頼んでいます。彼らにとって、マリア信心はキリスト教信仰の明らかなしるしでした。そのため、彼らはプティジャン神父様に、マリア様を崇敬しているかどうかを尋ねたのです。プティジャン神父様が「はい」と答えたとき、同じ心を持っているということが裏付けられたのです。

 マリア様を愛している者として表明したことが、大きな深い喜びの時となりました。彼らの信仰を強めたのは、マリア様の母としての執り成しだったのです。殉教者になるまで神に対する彼らの信仰と愛を支えたのは、イエスの十字架のもとにたたずむマリア様でした。

 

教皇様への忠誠
3.「沖に見えるはパーパの船よ!」この歌は、地上におけるキリストの代理に対するゆるぎない忠実さを意味深く言い表しています。それは彼らの心からの叫び、つまり教皇様と一致していたいという願いであり、教皇様が派遣してくださる宣教師を切望することでもありました。それは、密かに学んだカテキズムのおかげで知っていた、教皇様に対する彼らの忠誠を表しています。

 そしてこのとても短い歌は、教皇様との連帯と交わりの歌です。それも、単に200年に及ぶ迫害の間の教皇様との連帯と交わりだけでなく、よい羊飼いイエスが皆さんを愛しているように、皆さんをとても愛しているフランシスコ教皇様との連帯と交わりの歌でもあります。

 

キリスト教信仰を学び、生き、分かち合うこと
4.潜伏キリシタンは教えなしに、つまりカテキズムなしに、神への信仰と愛の中心的なものを保つことはできなかったでしょう。彼らに教える司祭なしに、信徒の教え方たちがキリスト教要理を彼らに伝える役割を可能な限り最大限果たしました。数世紀前の日本で、最も難しい苦難の時代に、新しい形の福音化、他者との信仰の分かち合いが行われていたことは、本当にどれほど素晴らしいことでしょうか。信徒が他者に教え、親が子どもたちと信仰を分かち合ったのです! 教皇様がわたしたちに、宣教する弟子になるように、つまりキリストに従ってキリスト教的生活の証しをすることで、救いと慈しみと憐みの物語を告げるよう招かれ派遣されている共同体となるようにと招いておられる今日こそ、一つの教訓を教えています。

 

 主と結ばれている兄弟姉妹の皆さん、以上のことは、教皇様が皆さんと分かち合うようにとわたしに望まれていることです。それらは、エルサレムの初期キリスト教共同体のことを思い起こさせます。彼らは使徒たちの教えに忠実で、祈りの時間を過ごし、彼らのただ中に、実の母親のようにイエスの母がおられ、主が聖体を通して彼らの間におられ、互いのために、また他者のために愛の業を実践していました。実際の感謝の祭儀を除いて、皆さんの先祖である潜伏キリシタンの信仰生活は、わたしたちに、名前だけでなく実際にキリスト信者としていかに生きるべきかを思い起こさせます。

 皆さんは、このような素晴らしい信仰と愛の体験、神の慈しみと憐みの体験、皆さんに対するおとめ聖マリアの愛と母親としての心遣いの体験をしているのです。皆さんがお互いにだけでなく、他者に告げ知らせ、また告げ知らせなければならないのは、実際には、良い知らせ(福音)です。

 わたしには、心の底から「ありがとうございます」と言う以外に、何も言うことはありません。

 

フランシスコ教皇の特使
フィリピンのコタバト大司教
オルランド・B・ケヴェド枢機卿(オブレート会員)

 

※このメッセージは、3月17日10時の大浦天主堂での記念ミサの終わりに、教皇特使ケヴェド枢機卿様が英語で語られたものの邦訳です。

 

 

 

 

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日本の信徒発見150周年記念ミサ 説教

カトリック長崎大司教 髙見 三明

2015年3月17日(火)10時 大浦天主堂

 

 

1.キリスト教は、日本に導入されて以来、多くの日本人に受け入れられました。しかし、発展するに伴って、政治権力を握っている人にとって、人間は皆神の前で平等であるという思想や、苦しむ人や貧しい人を助ける行為も、権力者に対して反逆や一揆を起こす温床をつくることになると見なされました。また特に、当時のヨーロッパの列強が宣教師を送ってキリスト信者を増やした後、日本を占領に来るにちがいないと恐れをいだいたようです。そのような可能性やそこから来る不安や恐れを取り除くためには、キリシタンを完全に排除することが得策であると考えました。そこで、徳川幕府は、徹底した禁教政策を推し進め、毎年1月に宗門改めを実施し、宣教師や修道士、キリシタン信徒を、賞金をかけて訴えさせ、キリシタン信仰を捨てなければ捨てるまで拷問にかけ、さらには処刑していったのです。

 

2.1614年に禁教令が布達されて以来、キリシタンたちは、信仰は決して捨てたくない、しかし、殉教すれば、信仰が伝達されず、滅びてしまうかもしれないと考えました。彼らは、何とか信仰を伝え、つないでいかなければならないという強い望みに突き動かされて、表向きだけでも仏教徒として、指定されたお寺の檀家になりすましたのでした。

 しかし、彼らは、密かに組織をつくり、子どもたちに洗礼を授け、オラショ、つまり祈りを唱え、教えを学び、教会の暦を守り、慈悲の所作を実践しながら、信仰を生き、守り、子孫に伝えました。教えの中でも、①ローマのお頭様、つまりパーパ、教皇様、②その教皇様が派遣する独身の聴罪司祭、つまり罪を聞いてゆるしを与える神父、③サンタ・マリア様の執り成しや保護のことを、基本的な要素として確実に伝えていきました。

 それにしても、お上にはキリシタンであることを隠して檀家を装い、信仰をこころの内に秘めながら子孫に伝え、七代、250年間、生き延びたことはどれほど辛いことだったろうかと想像します。そのような中で、彼らが曲がりなりにも信仰を生きて保ち伝えることができたのは、神の恵みであり、摂理でありました。神様と彼ら信徒に感謝をささげたいと思います。

 

 

3.しかし、彼らが実に粘り強く、信仰を守り、伝えてくれたおかげで、日本の教会はいのちをつなぎました。そして、殉教のこと、潜伏時代の信仰生活のことなどを、生きた証しとして伝えてくれました。

 彼らが信仰を伝え、キリスト信者として生き残ってくれたおかげで、日本の教会は、新たに宣教師を迎えた時、再出発することができました。日本の教会の、いわゆる復活のための踏み台のような役割を果たしたことになります。もし、キリシタンが一人も生き残らず、その状態が100年や200年続いていたとすれば、日本の再宣教は不可能に近かったかもしれません。なぜなら、キリシタンは、邪宗門であり、邪宗徒あるいは邪徒であると呼ばれて、ほとんどの日本人に忌み嫌われていたからです。

 わたしたちは今、信仰を伝えることに関して、さまざまな問題を抱えています。だからこそ、信仰を生きて伝えるためにはこれまで以上に努力をしなければならないと思います。その一つに、次の世代を担う子どもや若い人たちと一緒に祈り、一緒に学び、一緒に隣人愛の実践を行うことが考えられます。とにかく「一緒に」祈り、学び、神のことばを分かち合い、考え、話し合い、「慈悲の所作」「御大切」を実践することによって信仰は伝えられていくと思います。もちろん、信仰は子孫に伝えるだけで十分ということではありません。すべての人に伝えなければなりません。キリスト信者は皆その使命を与えられ、それを果たすよう常に招かれています。

 

 

4.最後に、実に皮肉なことといえるのですが、今年の1月、日本政府は、日本のキリスト教の歴史に普遍的な価値が認められると判断し、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界文化遺産登録に向けて正式にユネスコに推薦しました。普遍的な価値の一つは、潜伏キリシタンが、人間として、また信仰者として、あらゆる逆境の中にありながら自分たちの信仰を貫き、守り伝えた姿に示されている人間の尊厳と気高さにあると思います。これは、わたしたち日本のキリスト信者にとって、キリスト教をより正しく、より広く知っていただくチャンスになると思います。キリスト教を信奉することを徹底して禁じた時代が259年に及び、その間、キリシタンは、ただキリスト信者であるということだけで、弾圧と差別を受け続け、数千人の殉教者も生まれました。キリスト信者は今に至るまで、日本においては極めて小さな少数派ですが、フランシスコ・ザビエル神父の来日以来、日本の歴史に少なからず影響を与えています。たとえば、檀家制度や鎖国は、キリスト教禁令なしには説明がつかないものです。

 ともあれ、少なくともこれからは、キリスト教が日本社会でも認知され、正しく理解され、少しでもいい影響を与えて、発展するためにこの動きをチャンスとして生かしていかなければならないと思います。そのためには、わたしたちキリスト信者がまず自分の信仰を正しく理解し、よりよく生き、周囲の人々と分かち合うことができるよう、知恵と勇気の賜物を祈り求め、最大限の努力をしなければなりません。長崎教区としては、日本の信徒発見150周年を機に教区シノドスを開催し、その提言を今日、このミサの最後に公布します。わたしたちがキリストの愛の力と聖霊の照らしを受けて刷新の道を歩み始めることができるよう、お祈りいただければ幸いです。

 日本の教会の歩みを見守り、共に祈ってくださった殉教者たちと聖母マリアの執り成しをお願いしたいと思います。

(説教は以上です)

 

(以下は、説教の要約・英文です)

Homily of the Eucharistic Celebration of the 150th Anniversary of the Discovery of Hidden Christians given by Joseph M. TAKAMI, S.S., Archbishop of Nagasaki
March 17, 2015

 

1. The Christianity was welcome by many Japanese people, but for those who had the political power it was a wrong religion, because according to it, all human beings are equal and the suffering and poor people are to be helped and saved. The political authority was afraid that this way of thinking could create a hotbed of insurgence against. In particular, those who held the political power were anxious about the possible occupation of Japan by the European countries and wanted to eliminate and exterminate absolutely the Christianity and all the Christians from the whole country by every kind of ways and means.

 

2. Since the promulgation of the decree of the prohibition of the Christianity in 1614, Christians didn’t want to abandon their faith, but thought that if they had been martyrized, they could not be able to transmit their faith in the next generation. They chose to be ostensibly a Buddhist, but organized in secret a structured community, baptized their children, prayed, learn the catechism, kept the liturgical calendar and practiced the charity. They held as very important elements the obedience to the Pope of Rome, the coming of confessors sent by the Pope and the intercession of the Blessed Virgin Mary. We thank God for his Providence and the ancestors for having transmitted the faith without interruption.

 

3. It is thanks to their enduring transmission of the faith that the Church of Japan could continue to exist and we can know the martyrdoms, their lives in faith as vivid testimony.

It is thanks to their survival as Christians that the Church of Japan could start again its existence and development. In this sense the Hidden Christians were the footstool of the resurrection of the Church of Japan. If there had been any Christian who survived since 100 or 200 hundreds years in Japan, any Japanese people would have not accepted the Christian faith, because it was considered a very wrong and bad religion by the political authority during centuries.
Now we should actually transmit our faith by living it together with children and young people through prayer, learning of the catechism, sharing of the Word of God, practice of the charity and so on.

 

4. It is ironic that the government of Japan, recognizing the universal value of the Christian history of Japan, applied for the inscription of “the churches and Christian sites of Nagasaki” as World Cultural Heritage to UNESCO. We have to make this opportunity a chance to make Japanese people to know rightly the Christianity and to learn about the history of Japan since 16th century till now.

We also have to know exactly our faith, to live always better and to share it with our neighbors. Let us pray so that we may be given the wisdom and the courage from the Lord in order to do our best.
As for our archdiocese, we had the first diocesan synod in the occasion of the 150th Anniversary of the Discovery of Christians of Japan and at the end of this Eucharist promulgate the propositions. We would be very happy, if you pray the Lord so that the church of Nagasaki may start to walk on the way of the real renewal through the love of Christ and the illumination of the Holy Spirit. And we also ask the intercession from the martyrs of Japan and the Blessed Virgin Mary who always watched over the Church of Japan.

(説教の要約・英文は以上です)