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復活教書

2019年 復活教書 フランシスコ教皇様をお迎えするにあたり

大司教 ヨセフ 髙見 三明

 

 主のご復活、おめでとうございます。神の独り子イエスはわたしたちの永遠の救いのために十字架につけられていのちをささげ、三日目に復活されました。わたしたちは、この神のいのちの勝利を告げ知らせなければなりません。

 ところで、今年11月下旬にフランシスコ教皇様が東京に次いで長崎を訪れてくださいます。教皇様をお迎えするにあたって、教皇のことについておさらいをしたいと思います。

 

一、教会の土台、ペトロを頭とする使徒団

 イエス様は30歳の頃宣教活動を始められました。神のことばを宣べ伝え、人々をあらゆる病気や苦しみから解放し、死と復活によって人類の救いを成し遂げて神の国を実現されました。イエスは、その神の国を目に見えるものとするために、ご自分を信じる人々の共同体すなわち教会を創設されました。手始めにペトロとアンデレ、ヨハネとヤコブを弟子として招きました。「弟子」はイエスの後に従う人々、いわばキリスト信者のことです。その後彼らは増えていきました。イエスはその弟子たちの中から12人を選び、「使徒」(遣わされた者の意)と名付け(ルカ6・13)、ペトロを彼らの頭とされました。彼らはおよそ3年間イエスと起居を共にしながら、使徒としての養成を受けました。

 キリストは復活後、彼らに「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝え」(マルコ16・15)、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)と言われ、聖霊を注がれました。使徒たちは、エルサレムをはじめローマ帝国内の各地で信じる人々の共同体を形づくっていきました。そして、それぞれ生涯を終える前に後継者として、監督すなわち司教を任命し、その協力者として長老すなわち司祭団、また助祭団をつくりました。

 

二、使徒団の後継者は司教団、ペトロの後継者は教皇

 頭ペトロと他の使徒たちが構成していた一つの使徒団は、ペトロの後継者であるローマ教皇と使徒たちの後継者である司教たちで構成される司教団に受け継がれました。使徒団も司教団もそれぞれ頭なしに存在しません。使徒団の頭ペトロがローマ教会の長として殉教したので、彼の後継者である教皇は、ローマの司教であると同時に司教団の頭として全教会の最高の牧者です。教皇の権能は完全、最高、普遍的です。その権能を、司教団は教皇と共にまた教皇の同意のもとに普遍教会の上に行使できます。公会議がその最高の場ですが、それ以外の場合でも常に教皇と司教団の一致と交わりを通して行使されます。

 

三、教皇は全教会の一致の根源・基礎

 教皇によって全世界の教会に任命された司教たちは、互いに、またローマの司教との間で一致と愛と平和のきずなをもって交わってきました。「教皇は、ペトロの後継者として、司教たちの一致と信者の群れの一致との恒久的かつ目に見える根源であり、基礎」です。「個々の司教は、各自の部分教会(教区)における一致の目に見える根源であり、基礎」です。「したがって、個々の司教は自分の教会を代表し、すべての司教は教皇とともに平和と愛と一致のきずなによって結ばれて、全教会を代表」します(『教会憲章』23項)。

 わたしたちの先祖は、250年の禁教時代の間も、キリストの代理として全教会を司牧されるローマの〝お頭さま〟、パーパ(教皇)を慕い続けました。パーパが派遣する司教も司祭もいない中で、パーパとのこころのきずなと、いつの日かパーパが神父様たちを遣わしてくださるという希望を持ち続けたのでした。そしてそれは「信徒発見」の時、かなえられたのです。

 38年前の1981年2月26日、聖ヨハネ・パウロ二世教皇様は、松山競技場の野外ミサの説教で次のように語られました。「私は日本がキリスト教のメッセージに再度門戸を開けてから一世紀後に、ローマの司教としてここに来ました。……さらにそれ以前二世紀にわたって、ひそかに殉教者の信仰を守り続けた先祖をもつ100年前の信者たちは……遠くにパパと呼ばれる人がいることを知っていました。今日そのパパは長崎の信者の言い伝えに敬意を表し、その子孫たちに直接、イエズス・キリストの心において彼らを愛していると語りかけるためにやって来たのです」。

 

四、フランシスコ教皇様

 教皇様は、祖父母がイタリアからアルゼンチンに移住した貧しい家庭に生まれ、イエズス会司祭となってから日本での宣教を望まれたのですが、健康の問題でかなわなかったそうです。教皇として、とくに貧しい人、病人、悩み苦しんでいる人に心を寄せ、それを行動で示しておられます。パーパとしてわたしたち信者と日本社会に、すべてのいのちを守り、よりよい未来を開くための福音を力強く述べてくださるにちがいありません。また長崎から、核兵器が神と人に対する道から逸脱しているというメッセージを世界に向けて発信されます。訪日が意義深く実り多いものとなるよう祈りながら、教皇様をイエス様のようにあたたかくお迎えしましょう。