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5月17日 雲仙殉教祭

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 5月17日(日)13時から雲仙殉教祭が行われ、信者ら約2,000人が雲仙メモリアルホールに集まった。

 始めに滑石小教区の子どもたち22人がフランシスコ・ザビエル到来から信徒発見にいたるまでの歴史を朗読劇で発表し、記念ミサへと続いた。

 ミサ後は、雲仙地獄にあるキリシタン殉教記念碑まで巡礼した。

 

 

《髙見三明大司教 説教》 主の昇天

 今日は五月晴れに恵まれました。主のご昇天をお祝いする中で、雲仙殉教祭のミサを共におささげしております。

 さきほど、滑石教会の子どもたちが、フランシスコ・ザビエル到来から信徒発見までの歴史を朗読劇で見事に紹介してくれました。ありがとうございました。

 

1. 島原半島の殉教者たち

 まず、ここ雲仙で特に思い起こしたい殉教者は、雲仙だけでなく、有馬や島原で殉教した方々のことです。そもそも、島原半島に福音を最初に宣べ伝えたのは、当時イエズス会修道士だったアルメイダで、1563年のことでした。島原、口之津、有馬へ福音が広がり、領主が洗礼を受けたこともあって、1592年には有馬領の75,000人の領民がすべてキリシタンになりました。しかし、徳川家康の禁教令が布かれる前から、迫害が始まり、1612年から1633年の間に300名を超えるキリシタンが殉教しています。

 彼らの中から、2008年11月24日に長崎で列福された殉教者たちは全部で37名です。内訳を言えば、1613年10月7日、有馬でアドリアノ高橋主水をはじめ、8名が火あぶりの刑を受けて殉教しました。1627年2月21日、パウロ内堀作右衛門の子ども3名が島原の海で拷問の末、沈められて殉教しました。その1週間後の2月28日、子どもたちの殉教に立ち会った内堀作右衛門はじめ16名が、また5月17日(ちょうど今日がその日に当たります)には、ヨアキム峰助太夫はじめ10名が、ここ雲仙で沸き立つ熱湯の中に投げ込まれ、あるいは熱湯をかけられて殉教しました。特に、内堀作右衛門は、財産家でしたが、その財産を没収された上、島原の冬の海で子どもたちの殉教を見せつけられ、自らは雲仙の地獄の煮えたぎる湯の中に投げ込まれて殉教しました。それでも信仰を伝えようと努め、神をたたえ、最後の言葉は、「聖体の秘跡は賛美せられさせ給え」だったといわれます。このように、島原半島の殉教者は、すさまじい殉教を通して、信仰を証ししてくださいました。

 さて、彼らは今のわたしたちに何を語りかけ、何を訴えているでしょうか。

 

2. 福音の証し

 今日のマルコ福音書によりますと、主イエスは、復活の後、11人の弟子たちに現れて、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と言われました。そして、弟子たちは、イエス様が天に上げられた後、出かけて行って、至るところで宣教しました。主イエス・キリストは、天国の御父のもとに昇り、わたしたちの最終目的を目に見える方法で示しながら、そこに至る道を人々に示すように、と弟子たちに命じられたのです。こうして、それ以来、使徒たちと彼らの後継者、そして全教会は、福音を宣べ伝えてきました。フランシスコ・ザビエル一行も、「すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という主キリストのことばに駆り立てられて、日本までやって来て、すぐ宣教を始めました。そして、彼に続く多くの宣教師たちが日本中に福音を宣べ伝えてくれました。彼らの多くは殉教による証しを立てました。

 彼らは「福音」つまり「よい便り」を命がけで宣べ伝え、証ししたのですが、何が「よい便り」だったのでしょうか。

 福音、それは、わたしたち人間を内側から新しくし、真の、そして永遠の幸福を味あわせるために、自ら人間となられた神の子イエス・キリストご自身です。このイエスは、神の愛そのものです。なぜなら、イエスは、神を拒む人間を赦し、人間を苦しみと死から解放し、絶望の淵にある人に永遠の希望を与えたからです。神に対する人間の裏切りや逆らい、人間同士の争いと憎しみなど、すべてを背負い、その犠牲となりましたが、死ぬことによって人間をそれらすべてから解放したのです。これが福音です。こうして、洗礼によってキリストの死と復活にあずかったわたしたちは、全世界のすべての人々と、血縁、民族、文化、言語などあらゆる違いを超えて一つの、新しい人類をつくっています。国連や国際機関以上に一致した共同体をつくっています。これは福音です。この世界的な共同体、すなわち教会の掟はただ一つ。愛することです。この愛の掟の中に他の全ての掟は含まれています。愛するということは、すべての人が互いに尊敬し、認め、受け入れ、徹底して赦し合うということです。このような関係を築きつつ生きることは福音です。

 

3. 証しの継承

 今のわたしたちも、弟子たちのように、またフランシスコ・ザビエルをはじめ多くの宣教師たちのように、そしていのちをもって信仰を証しした殉教者たちのように、出かけて行って福音を宣べ伝えなければならない。

 ところで、わたしたちは、去る3月17日に、日本の信徒発見150周年を記念しました。その記念を有意義に行うために、4年前から教区シノドスを準備し、昨年その本会議を開きました。そして、これから教区シノドス提言を実施に移していこうとしております。わたしたちは、今一度、殉教者たちと、迫害の中密かに、必死で信仰を守り伝えた先人に連なり、彼らの後を継いでいることを思い起こす必要があります。しかし、わたしたちには、さまざまな課題があります。

 信仰を恵みとして受け入れ、喜んでいるでしょうか。福音、つまりイエスの教え、その中心にある真の愛の重要性、豊かさ、深さをわかっているでしょうか。信仰を恵みとして喜び、福音の教えを深く理解しているなら、信仰上の多くの問題は解決されるはずです。

 しかし、今の世の中は、お金、物質的豊かさ、安楽な生活、便利さにあふれているために、わたしたちの信仰の感覚が鈍らされ、信仰生活が妨げられているように思います。このような状況の中で、信仰を生きようとしているわたしたちに、雲仙の殉教者、島原半島の殉教者たちは、何を訴えているでしょうか。「わたしたちは、いのちをかけて信仰と福音を証ししました。皆さんも、信仰を大切に、しっかり生きて、力強く証ししてください」と訴えています。

(説教は以上です)

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マコ13・9-13を参照: 「あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

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